sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Hot Space」Queen(1982)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットで現在日本でも空前のクイーンブームなのだけれど、クイーンが何故世界で最も早く日本のファンに注目され現在も続々と若いファンを増やしているのかというとひとえに彼らが「日本で受ける要素が揃っているバンド」だからなのだと思う。その要素とは①印象的なメロディーを持つ楽曲が多く一回聴いてその良さがわかる②それぞれが高レベルの演奏力を持っているという音楽面での長所に加え③ルックスに華があり、かつメンバー全員のキャラが立っているというもので特に③は後にジャパンやチープ・トリックなどがやはり日本先行で人気が出たように重要な要素だと思っている。単に「ルックスが良い」というのとは少し違う。同時代の類型的なイケメンのアイドルバンド達と違い、クイーンの場合デビュー時に盛んに「少女漫画の世界から飛び出してきたような」と形容されたように彼らのキャラクターは「漫画的」というか「漫画にしやすい」のである。実際私も中学時代クイーン漫画描いたことあるしな(笑)。それにしても「漫画的」ならともかく「少女漫画的」というのはいくらなんでも無理がないだろうかと思ってしまうのは私だけではあるまい。こういうことを言うと熱心なクイーンファンから石を投げられるかもしれないけれど、私の記憶では当時のクイーン、特にフレディ・マーキュリーについてはもっと「いじられ」の要素が強かったのだ。クイーンをいち早く日本に紹介しその後もクイーンを熱心に取り上げ続けた「ミュージック・ライフ」誌の名物コーナーであった「He Said, She Said」というML読者によるネタ投稿のコーナーでもフレディは人気者(?)でやれ出っ歯だのナスビだのと散々いじられていた(ブライアンの病弱ネタやジョンの存在感のなさネタやロジャーのデブネタもあった気がする)のだけれど、それらも彼らの持つ親しみやすさ故の現象であるから映画の影響で「伝説のバンド」的に語られてる現在もやはり無視してほしくない面だよなぁと思ってしまうのである。

ホット・スペース

ホット・スペース

 

 この「Hot Space」はクイーン作品の中で問題作と言われているアルバムで、発売当時のレビューも結構荒れていた記憶がある。映画の中でも殆ど無視されていたしバンドやファンの間でも多分「黒歴史」みたいな扱いなんだろう。何でわざわざそんな作品を取り上げるのかと言えば、単に本作が私がリアルタイムで聴きだしたクイーンのアルバムだからである(笑)。この作品が出た1982年やその前後は70年代の大物と言われたアーティストが時代の変化に対応するために音楽面でも試行錯誤的なアルバムが多く出ていた時期でもあり、デヴィッド・ボウイの「Let's Dance」(1983年)もリリース当時はやはり好意的な評価ばかりというわけではなかった記憶がある。今から聴き返せば「こういう試みもあっていい」という前向きな感想になると思うがやはりリリース当時は「え~そっちに行っちゃうの?」感が強かったのではないだろうか。一言で言ってこのアルバムは物凄くR&Bやファンク色が強くてそれまでの「クイーン・サウンド」を期待すると手痛く裏切られる内容である。冒頭の「Staying Power」からしてホーンセクションとシンセがフィーチュアされたファンキーな曲で「あれ~ブライアンのギターはどこー?コーラスはどこー?」となると思う(実はギターもコーラスもあるのだけれど全く「クイーン的」ではない)。前半(当時はA面に相当する部分)はずっとこんな調子でファンキーで黒いノリの楽曲が続くので正直辛いという人も多かったのではないだろうか。しかしフレディのパワフルなヴォーカルはこれらファンク色の強い楽曲群においても圧倒的であり、彼がロックの枠組みの中に納まらないスケールを持ったヴォーカリストであったことが皮肉にもこの作品によって証明されたところもあると思う。本作はロックとR&Bの垣根を超えたと言われるマイケル・ジャクソンの「Thriller」に影響を与えたアルバムと言われているが、そういう意味では本作は少し世に出るのが早すぎたアルバムと言えるのではないだろうか。しかしさすがにこの路線で進み続けるのは難しかったようで、その次の「The Works」は往年のクイーンらしいロックアルバムで収録曲「Radio Ga Ga」の大ヒットもありファンにも好意的に受け入れられたアルバムだが本作の後ということで「守りに入ってる感」が気になった作品でもあった。やはり「Hot Space」はクイーン史において無視できない貴重な位置づけのアルバムではないかと思う。

【これを見た】Paul Draper日本公演(2019/Mar/6-Mar/10)

90年代ブリットポップ終焉期に独自の世界観をもつ楽曲群で日本でも人気を博していたマンサン(Mansun)のフロントマンであったポール・ドレイパー(Paul Draper)のソロとしての初来日である。マンサンとしての最後の来日から19年経っているから当然ファンはマンサン時代の曲を期待するし本人もそれを今回の公演の目玉の一つにしていたが、「おいちょっと待て」とツッコミを入れたくなったのは私だけではあるまい。3年前にKscopeと契約しその1年後にアルバム「Spooky Action」でソロアーティストとして再スタートし、マンサン時代からのファンのみならずKscopeが標榜する現代プログレファンからの注目を得つつあるというのに最初から過去の遺産に頼るのかよ、というのがその理由である。彼がたまにゲストとしてツアーに帯同するスティーヴン・ウィルソンも今のラインナップでポーキュパイン・トゥリー時代の曲をやらないわけではないけれど、あくまでそれはオマケ的な位置づけ(強いて言えば「自分の好きなPT時代の曲」)だし決してPTを売りにしているわけではない。「ソロアルバムはまだ1枚しか出してないんだから仕方ないだろう」という意見もあるだろうけどポール・ウェラーがセルフタイトルの1stアルバムを出したすぐ後の来日公演は既にセットリストの大半はソロアルバムの曲で占められていたし後に2ndアルバム「Wild Wood」に収録される曲も数曲披露されていた。評価の定まっている過去のバンドの楽曲に頼ったほうが楽なのはわかるがそれを敢えて封印して先に進もうという気概はないのかね、と毒づきたくもなる。そりゃ私もマンサンのファンであったからマンサン時代の曲をやってくれるのはうれしいけれども、それをツアーの売りの一つにしてしまうと今度は足りないものばかりが見えてきてしまう。いつぞやのドリーム・シアターの「Images and Words」完全再現ツアーの時でさえマイク・ポートノイの不在が気になったぐらいなのだからポールが今後「Six」再現ツアーやるとか言ってるのを見ると「やっぱりチャドやストーヴやアンディがいないとさー」とか「そこまでマンサンの曲再現にこだわるならルックスもマンサン時代の王子キャラに戻す努力ぐらいしろや」とか思っても罰は当たらんだろうと思う(←熱心なファンからは思いっきり石を投げられるかもしれないけどな)。

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ここまで散々ボロカス貶してきたけれども今回の来日公演自体はとても良かったのである。今回の公演の個人的な注目点として「シンセサイザー主体の、スタジオ技術を駆使したSpooky Actionの楽曲がアコースティックでどのように表現されるのか」というのがあったのだけど、スタジオ盤でのサウンド面の実験的な要素が省かれている分楽曲が本来持つメロディーの美しさやヴォーカルの伸びやかさが前面に押し出された仕上がりになっていて非常に感銘を受けた。「EP One」収録の比較的ストレートなギターロック曲の「The Silence is Deafening」はともかくアルバム冒頭のエキセントリックでカオティックな「Don't Poke the Bear」などアコースティックでどう再現するんだろうと思っていたのだけど、ギターだけで歌われるのを聴くと意外にオーソドックスなロックナンバーであったことは興味深い発見であった。何しろポールの豊潤で力強く伸びていく中低音域のヴォーカルには終始感心させられた。マンサン時代はどちらかというとファルセットを多用した高音域に特徴があったし何よりも歌唱力以上にアグレッシブなステージパフォーマンスが印象的だったので、ポールがここまで歌える人、歌唱力だけで勝負できる人であったということに気づけたのは一つの収穫であった。それが現在の彼の体型と関係があるのだとしたらもう今後無理してダイエットしなくていいんじゃないかとすら思う。実のところポールに関してはマンサン時代のいかにもの華奢で中性的な王子系美青年キャラより現在のデブいヒゲのオッサンのほうが全然好みである。またマンサン時代はMCも少なくチャドからも「ポールは1%も感情を表に出していない」などと言われていたものだけれど、今回の来日公演でビールを何缶も飲みつつ上機嫌で各曲のエピソードを長々と語りまくるポールを見て「このオッサンは、あのマンサンのポール・ドレイパーと同一人物なんだろうか?」と何度も自問自答せずにはいられなかったが、若い頃の外見的イメージにこだわらず純粋に楽曲のクオリティと歌唱力で勝負していこうという彼の姿勢は大いに歓迎できるものであった。

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今回のツアーではギタリストであり現在のポールの音楽的なパートナーであるBen Sinkを連れてきていた。ポールに「12歳だよ!」といじられるぐらい童顔の可愛らしい風貌の若者であるが、ギターの技術はしっかりしておりマンサン時代の曲のギターパートもほとんどチャドのニュアンスを忠実に再現しつつ弾きこなしていたと思う。Benに対するポールの信頼感が絶大なのは客席から見ても明らかで、実際4公演目の土曜日(3/9)の東京公演では喉の調子が絶不調で高音域のパートで苦しそうなポールを心配そうな表情で見守ったり途中で飲み切ってしまった喉のケア用ハーブティー(この日はビールは抜きだった)の追加を作るためにわざわざステージを出るなど甲斐甲斐しくポールのケアをするBenの姿が印象的だった。しかしポールのギターに絡まったコードまでBenに解かせるのを見て「何だこの何もしないオッサン上司のために走り回る新人くん状態は」と思ったのも事実で、この若者が今後良い意味での自己主張ができるといいなと願わずにいられない。

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演奏自体は非常に良かった(4日目の喉の絶不調も途中で演奏中断せず観客の合唱のサポートを得つつも最後まで演奏しきったのは立派だったと思う)し新しい発見もたくさんあって、今回無理して全公演行ってよかったライブだと心から思えるのだけれど、やはりセットリストを見返してみて13曲中8曲がマンサン時代の曲というのはあまりにバランスが悪い。今回会場に集まったファンの中にはマンサン時代を知らない若い人もちらほら見かけたし、私のTwitterのフォロワーさんの中にもKscope経由でポールに興味を持ったという人が出てきておりソロアーティストとしてのポール・ドレイパーがもっと聴きたいというニーズは確実にある。次のツアーからは「Six」完全再現という話が出ているけれども「いやそれより2ndソロアルバムの曲が先でしょ?」「そこまでマンサン作品の完全再現にこだわるならルックスも当時の完全再g(以下略)」と思ってしまうのは私だけじゃないと思うなぁ。

【この一曲】Bring Me The Horizon「mother tongue」(「amo」(2019))

で、早速先日リリースされたばかりのBring Me The Horizon(以下「BMTH」)の6thアルバム「amo」なのだけど、実はこのアルバムが2019年初頭にリリースされるという話が前年の夏に出たときに「オリバー(Oliver Sykes)がインタビューにて、新譜「amo」(←「愛」という意味)には自身の離婚が反映されていることを発言」という記述を見て物凄く既視感というか嫌~な予感がしたのだった。だって別離がきっかけで作られた、「愛」がテーマのアルバムと聞いたらMansunの「Little Kix」じゃん(←BMTHの記事見てそんなこと考えたの多分私だけだっただろうな)。しかもオリバー既に再婚してるしどうせ「前は離婚で痛手を負ったけど今は新しい愛を得て幸せさ~」みたいな展開な、甘々メロディー満載のポップアルバムなんじゃないの?と物凄く捻くれた見方をしたものである。しかし実際に「amo」を聴いてみるとニュースリリース当時のこの捻くれてると思われた推測もあながち間違いではなかったと思うのは自画自賛だろうか(笑)。「MANTRA」(←何故かこの曲だけ大文字)「wonderful life」「suger honey ice & tea」みたいな前作「That's the Spirit」の延長的な位置づけの曲もいくつかあるものの例えば「ouch」「fresh bruises」みたいなエレクトロニカ丸出しの曲を聴くと「おいちょっと待て一体どこへ行くんだよ」と思ってしまうし「medicine」はキャッチーだけどロックというより最早ポップだし極めつけは「heavy metal」というタイトルなのに「残念これ全然ヘヴィーメタルじゃないw」みたいな内容なので前作までは何とかついてこれたファンも音だけ聴くと「え~これどうしよう」という印象になってしまうのではないだろうか。しかしその「ouch」、実は歌詞を見ると前作収録の「Follow You」の歌詞の一部を借用していてしかもそれがオリバーの離婚した前妻でタトゥーアーティストのハンナに対する当てつけみたいな毒たっぷりの曲なので侮れないのである。ハンナとの別離をテーマにした曲は他にも「medicine」「in the dark」等何曲もあって「よほどトラウマだったんだろうなぁ」と思われるのである。まあこのブログのメインの読者向けに例えて言えば彼らはデーモン・アルバーンジャスティーン・フリッシュマンみたいなパワーカップルだったので、離婚の精神的なダメージもそれだけ大きいことだっただろう。まあ色々言いたい放題したけれども何だかんだで私は今回の新譜は気に入っているのである。恐らく今のBMTHはクイーンやU2みたいな、特定のジャンルで語られることを必要としない普遍的なバンド(最早バンドですらなくコンセプトかもしれないが)になりつつあるのだろうし、この際次のアルバムもこの調子で突っ走って毎回ファンを挑発してもらいたいものである。本来彼らのようなバンドこそ「プログレッシヴ」という形容がふさわしいのだけれどね。


Bring Me The Horizon - mother tongue (Official Audio)

この「mother tongue」は当初私の邪推に近い予想の「今は新しい愛を得て幸せさ~」の部分に相当する曲で、オリバーが一昨年に結婚したブラジル人モデルのアリッサの事を歌ったこれまたキャッチーでポップな曲である。歌詞の中に「So don't say you love me; fala, "amo"」という一節があり、ある意味この曲がこのアルバムのタイトル曲的な位置づけと言ってもいいだろう。「英語でなくて、君の母国語で愛を語ってよ」という内容の曲なのだけれど、「fala, "amo"」はアリッサの母国語であるポルトガル語で、本来ならここは「fala, "te amo"」(「愛してる」と言って)だったんじゃないかと思うのだけど歌に乗せるときにフィットしなかったのかもしれない。実はこの新譜のタイトルが「amo」と聞いたときに「何だPhoenixの「Ti Amo」みたいじゃん」と思ったのだけれどPhoenixの「Ti Amo」はイタリア語なので、同じ「amo」でも言語が違うのである。でもこの今回のBMTHの新譜、「Ti Amo」が好きな人が聴いても多分違和感ないと思うよ(笑)

「That's the Spirit」Bring Me the Horizon(2015)

最初にBring Me the Horizon(以下「BMTH」)という名前を見たのは確かBullet For My Valentine(以下「BFMV」)のいつぞやの来日公演(←調べたら2010年だった)の時のスペシャルゲストとしてだったと思う。その時の来日公演は見逃してしまってその後しばらく忘れていたのだけど、その次にBMTHの名前を見たのは2016年のNMEアワードでヴォーカルのOliver Sykesがバンド演奏中にコールドプレイのテーブルに飛び乗ったというニュース記事であった。この記事を見て最初に思ったのは「そもそもBMTHってNMEアワードに出るようなバンドだったの?」ということである。元々がデスコアから出発しているのでBFMVとも系統が違うのだけどどちらかというとKerrang!やMetal Hammerで扱ってる領域のバンドだろうから、これらとは全く畑違いなNMEのイベントに呼ばれることにとても違和感を覚えたものだ。それがその年の夏にBBC Radio 1だか2だかで放送していたグラストンベリー・フェスティバルのプレビュー番組でBMTHの「Avalanche」を聴いて「これ、いいじゃん」と一気に引き込まれてしまった。それでやっと当時の新譜だった通算5枚目のアルバム「That's the Spirit」を聴いたのである。リリースから約1年経ってたから何とも遅い反応と言わざるを得ない。そもそも最初に名前を見てから実際に曲を聴くまで実に6年かかっているのだからその間の音楽的な変遷をリアルタイムで体験できず機会損失半端ないと言ってもいいかもしれない(涙)。

That's The Spirit [Explicit]

That's The Spirit [Explicit]

 

 一聴した印象は非常にキャッチーでかつスタイリッシュなアルバムだということである。収録曲の完成度が軒並み高くそれまでこの界隈のジャンルに疎い新規ファンをしっかり取り込む吸引力があると思う。しかしダサい所が皆無というか同郷のBFMVやAsking Alexandriaのような伝統的HM/HR的要素を一切引きずっていないところが何とも落ち着かない(元々私はSykesと聞くとOliverよりJohnを先に連想してしまう古い世代の洋楽ファンである)。既に数々のレビューにある通りデスコアの初期から叙情系メタルコアの前作「Sempiternal」までの比較的緩やかな変化と違いジャンル自体が変わってしまったような変貌ぶりなので、正直ついていけなくなったという初期のファンも多いのではないだろうか。よくデスコアやメタルコアのバンドでボーカルが途中で喉を壊してスクリームが辛くなって次第にクリーンの割合が増えていくという変遷をたどるバンドは割と多いのだけど、このアルバムでは「ボーカルだけでなくギターを弾くのまでつらくなってしまったのか?」と思ってしまうぐらいヘヴィーなギターが激減してしまっている。しかしBMTHの凄い所はここまで音楽性をオルタナティブ・ロックに寄せておきながら決して他バンドの丸パクリにならずしっかりBMTHの音楽となっているところである。最近本作(および前作「Sempiternal」)に影響されたとみられる他バンドの作品のリリースが目立つが、それらが昔からのファンからは必ずしも歓迎されていないことに比べると本作の持つ「これは必然的な変化だ」と言わんばかりの説得力は大したものだと思う。シンセサイザーの入れ方が他の同ジャンルのバンドとは比較にならないほどスマートだというのもあるのだけれど、彼らもまた「どんなアレンジにも耐える普遍的な魅力を持つ曲が書ける」数少ない人たちなのだろう。願わくば日頃NMEで取り上げられるようなバンドのファンの人たちにも聴いてもらいたいアルバムだけれども少なくともここ日本においてはそのような動きはあまりなくて寂しいものがある。過去の記事でも何度か触れているけれどどんなに音楽性が大きく変化しようとも結局は元々の出発点のジャンルに大きく影響されてしまうのだろう(BMTHと同じぐらい音楽的変化を遂げているバンドにAnathemaがあるけれどやっぱりファンの多くはメタル畑だもんなぁ。まあ彼らの場合はそのお陰で来日できるぐらいはファンを確保できているのだろうけれど)。しかしどんなにメインストリーム路線に寄せてもどこぞのバンドと違って英国出身らしさを捨ててないのはUKロックファンには好感が持てる点だと思う。実はこの後のアルバム「Amo」で彼らはさらに「何じゃこりゃあぁぁ」的異次元の展開を見せるのだけどそれについてはまた後日(←書くのか?)。

「Dare」The Human League(1981)

前回がABBAだったので今回は「エレクトリック・アバ」と言われたこともある英国シェフィールド出身のエレクトロ・ポップバンドのヒューマン・リーグを取り上げたいと思う。元々ホール&オーツがきっかけで洋楽の世界に入った小学生の私をたちまちUK派にしてしまったバンドがヒューマン・リーグであった。ちょうど「愛の残り火(Don't You Want Me?)」が全英チャート1位を獲得した頃である。当初ホール&オーツ 目当てで買った「ミュージック・ライフ」誌にヒューマン・リーグの「Dare(当時の邦題は「ラブ・アクション」)」の広告が載っていて、その斬新かつオシャレなデザイン(「ヴォーグ」誌の表紙を意識したらしい)に「さすがイギリスだな」とにわかに興味を持ったのである。女性が2人いるだけでエレクトリック・アバというのも安易な気がするが当時の彼らの勢いが世界各国で数多くのヒット曲を連発してきたABBAになぞらえたくなる気持ちはわからないでもない。元々ヒューマン・リーグは男性4人組で出発したバンドであるが、アルバム2枚リリース後イアン・マーシュとマーティン・ウェアーがバンドを脱退してヘヴン17を結成し、残ったフィル・オーキーとエイドリアン・ライトが女性2人(ジョアンヌ・キャスロールとスザンヌ・サリー)と男性2人(イアン・バーデンとジョー・キャリス)を新たに加えて新ヒューマン・リーグとして再出発したものである。当時の写真を見てもわかるように4人組時代のいかにも暗黒UKニューウェイヴみたいな雰囲気からうって変わって華やかでファッショナブルなイメージを大胆に押し出したことは当時イギリスで全盛期を誇っていたニューロマンティクス の流れにもうまくマッチしたといえる。ニューロマといえばこの時期のヒューマン・リーグの連中(っていうかフィルと女性2人)の化粧はケバかった。フィルに至っては謎のワンレン長髪(当時はロップサイドという言い方をしていたと思う)にツタンカーメンみたいなヘヴィーなアイメイクなものだからインパクトは相当のものであっただろう。当時小学生だったわたしもワンレンボブを伸ばしてフィルみたく前髪ダラリをやろうと思ったのだがそんな髪型が小学校で許されるわけがなく即撃沈した。ヒューマン・リーグは1982年に初来日しているが、その時の取材に対する彼らの態度が最悪だったと毎年恒例の「ミュージック・ライフ」の年末企画である編集部座談会で暴露されている(取材担当に「今までこんなに印象の悪いインタビューはなかったわ!」とまで断言されたほど)。まあ当時「愛の残り火」が全英チャート制覇に続き全米チャートも制しつつあるという状況にあって多少天狗になってしまったのもわからないでもないが、よくよく聴いてみればフィルの歌はヘタクソだし、女性陣もさらに輪をかけて下手だし、しかもあのメイクがなければルックスも皆微妙だからMLの連中も白けてしまったんだと思う。しかし彼らの場合そのヘタさ加減が却ってシンセサイザーの無機質な音にマッチしていた上にフォトセッションやPVやアルバムジャケットのデザインまで「クールでオシャレで華やか」という彼らが意図したイメージで統一されていたのには感心するし、「愛の残り火」の大ヒットも元々曲のキャッチーさが最大の魅力とはいえこういったイメージ戦略による相乗効果は無視できないと思う。「愛の残り火」で女性ヴォーカル部分を担当したのが当時フィルのGFだったジョアンヌではなく金髪のスザンヌのほうだったのは偶然だったのだろうか。多分あれがジョアンヌだったらフィルとのラブラブ臭が鼻について彼らの「クールでオシャレ」なイメージが相当損なわれたんじゃないだろうか。そういった絶妙なバランス感覚も好感が持てるものである。それだけに現在の彼らの中年丸出しの体型を見ると「もうちょっとイメージに気を使えや」と思ってしまうのはわたしだけではあるまい。

Dare: Deluxe Edition

Dare: Deluxe Edition

 

先ほどヒューマン・リーグはイメージ戦略で成功したと書いたばかりなのだがこの3rdアルバム(4人組時代から数えると3rdになるのである)に関して言えば印象に残るメロディーの曲が揃っておりクラシックなアルバムだと言えると思う。「愛の残り火」「ラブ・アクション」「The Sound of the Crowd」「Open Your Heart」等有名シングル曲は多いが個人的にはいかにもUK産らしい哀愁感あふれる美メロとクールなシンセサイザーが魅力の「Darkness」が好きである。この後ヒューマン・リーグが2度目の全盛期を迎えるのが例の「Human」の全米No.1ヒットなわけだが「Human」およびこの曲が収録されている「Crash」というアルバムは当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったヒットメーカーのジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュース(ジャネット・ジャクソン等で有名)で、ファンキーなのに泥臭くなく都会的で洗練された音作りはたしかに聴きやすく個人的には好きなのだけれど、ヒューマン・リーグの作品というよりはジャム&ルイスのプロデュース作品のひとつという立ち位置なので「Dare」のようなクールなUKっぽさは微塵もない。その後の全英ヒット曲「Tell Me When」(1995年)は「Human」の頃のR&B色はほとんど消え「Dare」時代からのヒューマン・リーグらしさを彷彿とさせるクラッシーな作品である。基本的に彼らの曲は今から聴くといかにものチープなシンセサイザーが80年代臭半端ないのだけれど、どの曲からも感じられるオプティミスティックなオーラは今のアーティストの作品からは得難いものかもしれない。

「Voulez-Vous」ABBA(1979)

ティーヴン・ウィルソンがこの前の11月に来日した時に、ライブのMCでポップミュージックの素晴らしさを散々説いた挙句に世界最高のポップバンドとしてビートルズABBAを挙げたり、客席を見て色んなバンドのTシャツを着ている人がいると言って自分のファンの音楽的な多様性をアピールした後に「明日来るときはABBAのTシャツ着て来てね」と言っていて、「本当にABBAが好きなんだなぁ」と思ったものである。私にとってABBAビートルズと同様、洋楽に本格的にはまる小学4年の頃に音楽好きの叔父を通して父からレコードを貰ったりして知ったもので、当時洋楽と言えばアメリカかイギリスのイメージしかなかったから、ABBAスウェーデン出身と聞いてへぇ~と思ったものである。今でこそスウェーデンといえばスウェディッシュポップありのプログレ入ったデスメタルありの音楽大国のイメージだけれども、ABBAが登場する前は殆どの音楽ファンにとって「スウェーデンって一体どこ?」って感じだったのではないだろうか。ABBAスウェーデンでどれぐらい偉大な存在かというと、今から7年前ぐらいにストックホルムのアーランダ空港に入ったときに出口に向かうまでの通路の壁にスウェーデン出身のスポーツ選手やら映画俳優やら誰でも知ってる有名人のパネルがズラズラならんでいるところの、最後の一番大きい場所を占めていたのがABBAだったのである。「うわ、ABBAがトリじゃん」と思ったものだ。ABBAの凄さというのは、とにかく国やジャンルを超えた色んなバンドやアーティストに影響を与えている所だろうと思う。多分80年代後半に大流行りしたユーロビートの源流はABBAにたどり着くのだろうしストック・エイトキン・ウォーターマンが手掛けたカイリー・ミノーグの曲群を聴けばABBAの影響は丸わかりである(ピート・ウォーターマンABBAの熱心なファンであるらしい)が、この辺のメジャーなダンスポップばかりでなく先ほどのスティーヴン・ウィルソンや何とリッチー・ブラックモアのようなHM/HR畑のアーティストまでがABBAの熱狂的なファンであることを公言していることである。ただ、ABBAの作品にはポップでありながらどこかクラシック音楽にも通じる端正さがあり、そこが数々のオーケストラに演奏されたりリッチーみたいなクラオタを惹きつけたのだろう。スティーヴン・ウィルソンについてはプログレッシブ・ロックのカテゴリでありながら人を惹きつけるメロディーを大事にし非常にポップで聴きやすいところにABBAの影響があると思っている。

Voulez-Vous: Deluxe Edition

Voulez-Vous: Deluxe Edition

 

ABBAでお勧めは?と聞かれたらまずはベストアルバム「ABBA Gold」なのだろうけど、個人的に好きなのは6枚目のアルバム「Voulez-Vous」である。強烈でエキゾチックな雰囲気すらある華やかなディスコナンバーであるタイトル曲はじめ壮大なスケールと爽やかで美しいメロディーを持つバラード「Chiquitita」や「I Have a Dream」など、シングルカット曲だけでなくそれ以外の曲も冒頭のダンサブルな「As Good As New」から疾走感あふれる最後の曲「Kisses of Fire」まで欧州の空気を感じさせる洗練された都会のオトナのポップが揃っていて捨て曲のないアルバムである。当時「ABBAはヒット曲を自動的に作れる機械でも持ってるんじゃないか」と言われてたらしいけど、確かにこの時期のベニー&ビョルン(←ABBAの男性メンバー達で作曲チーム)は寝ながら適当に書いても大ヒットになってしまうんじゃないかというぐらいの勢いだっただろうと思う。このアルバムがリリースされた1979年は全世界的に大流行したディスコ・ブームの終焉期にあたり、この翌年にリリースされた「Super Trouper」はあっさりディスコ色を排した落ち着いたバラードの多い王道ポップのアルバムなのだけれど、この「Voulez-Vous」はディスコのスタイルに乗せながらもしっかりABBAのオリジナル曲にしてしまっている所に彼らの非凡さを感じるのである。来年でリリース40周年になるのだけれど、いつ聞いても古臭く感じない時代を超えた名盤の一つと言っていいだろう。この作品に限らず、ABBAの一番の魅力はどんなアレンジにも耐える普遍的な美しさを持つメロディーだと思う。そりゃスティーヴン・ウィルソンが夢中になるのもわかるよね。

【この一曲】「Solara」Smashing Pumpkins(2018)

最近、ビリー・コーガンがオリメン復帰後初となる新譜リリースを控えインスタグラムでファンからのQ&Aに盛んに答えているのだけど、その中で「世界中のファンが(オリメン復帰の)スマパンに来てもらいたいと懇願している中で何故日本はそれほどでもないのでしょうか?」という質問に対し「どうやら日本のファンは僕たちのことを見捨てたようだからね」と答えているのを見て、「まだあの事件(←数年前の某音楽フェスで某人気邦楽バンドのファンが大挙して場所取りをし目当てのバンドの前に出てきたスマパンに対し無視を決め込んでビリーをキレさせた件)を引きずってるのかな」と思ったのだけど、実際日本ではジェームズ・イハとダーシーの人気が特に顕著だっただけにビリーのワンマンバンド状態だった近年のスマパンに物足りなさを感じていたのも確かで、「Zeitgeist」以降のアルバムはビリーの趣味のハードロック色が前面に出すぎていて、ジェームズ・イハ在籍時の甘美で繊細かつポップな要素に魅力を感じていた昔からのファンは次第に興味を失ったのだろうと思う。スマパンの一番の魅力は楽曲にせよメンバーのルックスにせよ一見バラバラな個性を持った要素が奇跡的なバランスでもって一つの場に共存している所にあるので、近年の作品はスマパンなんだかビリーのソロなんだかわからんと言われても仕方がない。今回のオリメン再集結にしても肝心のダーシーが参加してないので「なーんだじゃあ別に日本に来なくてえーわ」と思っちゃった人も日本には結構いるような気がする。正直な話ダーシーでもメリッサでもニコールでも誰でもいいけど女性メンバーはやはり必要だったんじゃないだろうか。オッサンしかいないのは華がないとまでは言わないけどスマパンって感じしないんだよなぁ(笑)しかしそうは言っても日本で新譜が売れればビジネスにかけてはしたたかなビリーも無視できないとは思うので、前からのファンは頑張って新譜を買ってほしいし大いに宣伝してもらいたいものである。


The Smashing Pumpkins - Solara

「Solara」はそのオリメン復帰後第1弾となるアルバム「Shiny and Oh So Bright, Vol 1/LP: No Past. No Future. No Sun.」(←しかし長い名前だな)からの先行曲である。まずアートワークがダサい。まるで旧ソ連時代のプロパガンダポスターみたいだ。しかも曲も「これ、本当にイハが関わってるの?」と疑いたくなるぐらいまんま「Zeitgeist」である。YouTubeのコメントも賛否両論で、本人らも気にしたのかこの次の先行公開曲により往年のスマパン節に近い「Silvery Sometimes(Ghosts)」を持ってきてて、確かにそっちの方が好意的に受け入れられてるけど、新譜の内容に一抹の不安を覚えてしまうのは私だけなのだろうか。