sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Voulez-Vous」ABBA(1979)

ティーヴン・ウィルソンがこの前の11月に来日した時に、ライブのMCでポップミュージックの素晴らしさを散々説いた挙句に世界最高のポップバンドとしてビートルズABBAを挙げたり、客席を見て色んなバンドのTシャツを着ている人がいると言って自分のファンの音楽的な多様性をアピールした後に「明日来るときはABBAのTシャツ着て来てね」と言っていて、「本当にABBAが好きなんだなぁ」と思ったものである。私にとってABBAビートルズと同様、洋楽に本格的にはまる小学4年の頃に音楽好きの叔父を通して父からレコードを貰ったりして知ったもので、当時洋楽と言えばアメリカかイギリスのイメージしかなかったから、ABBAスウェーデン出身と聞いてへぇ~と思ったものである。今でこそスウェーデンといえばスウェディッシュポップありのプログレ入ったデスメタルありの音楽大国のイメージだけれども、ABBAが登場する前は殆どの音楽ファンにとって「スウェーデンって一体どこ?」って感じだったのではないだろうか。ABBAスウェーデンでどれぐらい偉大な存在かというと、今から7年前ぐらいにストックホルムのアーランダ空港に入ったときに出口に向かうまでの通路の壁にスウェーデン出身のスポーツ選手やら映画俳優やら誰でも知ってる有名人のパネルがズラズラならんでいるところの、最後の一番大きい場所を占めていたのがABBAだったのである。「うわ、ABBAがトリじゃん」と思ったものだ。ABBAの凄さというのは、とにかく国やジャンルを超えた色んなバンドやアーティストに影響を与えている所だろうと思う。多分80年代後半に大流行りしたユーロビートの源流はABBAにたどり着くのだろうしストック・エイトキン・ウォーターマンが手掛けたカイリー・ミノーグの曲群を聴けばABBAの影響は丸わかりである(ピート・ウォーターマンABBAの熱心なファンであるらしい)が、この辺のメジャーなダンスポップばかりでなく先ほどのスティーヴン・ウィルソンや何とリッチー・ブラックモアのようなHM/HR畑のアーティストまでがABBAの熱狂的なファンであることを公言していることである。ただ、ABBAの作品にはポップでありながらどこかクラシック音楽にも通じる端正さがあり、そこが数々のオーケストラに演奏されたりリッチーみたいなクラオタを惹きつけたのだろう。スティーヴン・ウィルソンについてはプログレッシブ・ロックのカテゴリでありながら人を惹きつけるメロディーを大事にし非常にポップで聴きやすいところにABBAの影響があると思っている。

Voulez-Vous: Deluxe Edition

Voulez-Vous: Deluxe Edition

 

ABBAでお勧めは?と聞かれたらまずはベストアルバム「ABBA Gold」なのだろうけど、個人的に好きなのは6枚目のアルバム「Voulez-Vous」である。強烈でエキゾチックな雰囲気すらある華やかなディスコナンバーであるタイトル曲はじめ壮大なスケールと爽やかで美しいメロディーを持つバラード「Chiquitita」や「I Have a Dream」など、シングルカット曲だけでなくそれ以外の曲も冒頭のダンサブルな「As Good As New」から疾走感あふれる最後の曲「Kisses of Fire」まで欧州の空気を感じさせる洗練された都会のオトナのポップが揃っていて捨て曲のないアルバムである。当時「ABBAはヒット曲を自動的に作れる機械でも持ってるんじゃないか」と言われてたらしいけど、確かにこの時期のベニー&ビョルン(←ABBAの男性メンバー達で作曲チーム)は寝ながら適当に書いても大ヒットになってしまうんじゃないかというぐらいの勢いだっただろうと思う。このアルバムがリリースされた1979年は全世界的に大流行したディスコ・ブームの終焉期にあたり、この翌年にリリースされた「Super Trouper」はあっさりディスコ色を排した落ち着いたバラードの多い王道ポップのアルバムなのだけれど、この「Voulez-Vous」はディスコのスタイルに乗せながらもしっかりABBAのオリジナル曲にしてしまっている所に彼らの非凡さを感じるのである。来年でリリース40周年になるのだけれど、いつ聞いても古臭く感じない時代を超えた名盤の一つと言っていいだろう。この作品に限らず、ABBAの一番の魅力はどんなアレンジにも耐える普遍的な美しさを持つメロディーだと思う。そりゃスティーヴン・ウィルソンが夢中になるのもわかるよね。

【この一曲】「Solara」Smashing Pumpkins(2018)

最近、ビリー・コーガンがオリメン復帰後初となる新譜リリースを控えインスタグラムでファンからのQ&Aに盛んに答えているのだけど、その中で「世界中のファンが(オリメン復帰の)スマパンに来てもらいたいと懇願している中で何故日本はそれほどでもないのでしょうか?」という質問に対し「どうやら日本のファンは僕たちのことを見捨てたようだからね」と答えているのを見て、「まだあの事件(←数年前の某音楽フェスで某人気邦楽バンドのファンが大挙して場所取りをし目当てのバンドの前に出てきたスマパンに対し無視を決め込んでビリーをキレさせた件)を引きずってるのかな」と思ったのだけど、実際日本ではジェームズ・イハとダーシーの人気が特に顕著だっただけにビリーのワンマンバンド状態だった近年のスマパンに物足りなさを感じていたのも確かで、「Zeitgeist」以降のアルバムはビリーの趣味のハードロック色が前面に出すぎていて、ジェームズ・イハ在籍時の甘美で繊細かつポップな要素に魅力を感じていた昔からのファンは次第に興味を失ったのだろうと思う。スマパンの一番の魅力は楽曲にせよメンバーのルックスにせよ一見バラバラな個性を持った要素が奇跡的なバランスでもって一つの場に共存している所にあるので、近年の作品はスマパンなんだかビリーのソロなんだかわからんと言われても仕方がない。今回のオリメン再集結にしても肝心のダーシーが参加してないので「なーんだじゃあ別に日本に来なくてえーわ」と思っちゃった人も日本には結構いるような気がする。正直な話ダーシーでもメリッサでもニコールでも誰でもいいけど女性メンバーはやはり必要だったんじゃないだろうか。オッサンしかいないのは華がないとまでは言わないけどスマパンって感じしないんだよなぁ(笑)しかしそうは言っても日本で新譜が売れればビジネスにかけてはしたたかなビリーも無視できないとは思うので、前からのファンは頑張って新譜を買ってほしいし大いに宣伝してもらいたいものである。


The Smashing Pumpkins - Solara

「Solara」はそのオリメン復帰後第1弾となるアルバム「Shiny and Oh So Bright, Vol 1/LP: No Past. No Future. No Sun.」(←しかし長い名前だな)からの先行曲である。まずアートワークがダサい。まるで旧ソ連時代のプロパガンダポスターみたいだ。しかも曲も「これ、本当にイハが関わってるの?」と疑いたくなるぐらいまんま「Zeitgeist」である。YouTubeのコメントも賛否両論で、本人らも気にしたのかこの次の先行公開曲により往年のスマパン節に近い「Silvery Sometimes(Ghosts)」を持ってきてて、確かにそっちの方が好意的に受け入れられてるけど、新譜の内容に一抹の不安を覚えてしまうのは私だけなのだろうか。

「Revolver」The Beatles(1966)

私はあまりオンタイムでなかった時代のロックの名盤を遡って聴くことをしないタイプなのだけれども、このビートルズの「Revolver」はそんな数少ない名盤の一つである。私が本格的に洋楽にハマるちょうど1年前の小学5年生の時にクリスマスプレゼントにジョン・レノンの「Double Fantasy」を買ってほしいと親に頼んだのが、何故かビートルズの「Revolver」になったのだった。「Double Fantasy」が売り切れていたのか、ジャケットが小学生にはふさわしくないと思われたのか(笑)、あるいはジャケットにオノ・ヨーコが写っていたのが親的に気に入らなかったのか(笑)真相はいまだに謎である。それまでのアルバムとは違いメンバーの顔写真でなくアーティスティックな肖像画のジャケットからしてそれまで私が父や叔父から断片的に教えてもらった「アイドル」のビートルズのイメージとはだいぶ違うなと思ったものである。当時メンバーが傾倒していたLSDインド哲学サイケデリック・ロックの影響がふんだんに盛り込まれた、実験的な要素に溢れたアルバムと言われていて、実際ジョージ・ハリソンの「Love You To」などその典型と言える曲もあるのだけれど、この他にもストリングスを取り入れた「Eleanor Rigby」やコミカルで楽しい諧謔に溢れた「Yellow Submarine」や「Got to Get You Into My Life」のようなファンキーでR&B色の強い曲など実に様々なスタイルをカバーしているアルバムだと思う。しかしハイライトはある意味このアルバムを象徴すると言える最後の「Tomorrow Never Knows」で、そのLSDのトリップ感覚を再現したような、何だか狂気というか「向こう側」に行っちゃってるみたいな非現実的な世界観に小学生ながら衝撃を受けたものである。「みんな凄い凄いというビートルズだけどやっぱりスゲー」と思ったものだ。私の音楽的嗜好に多大な影響を与えたアルバムの一つであり、後に80年代リヴァプール・ネオサイケやマッドチェスター等サイケデリックロックに影響されたバンドに夢中になる下地を作ったアルバムじゃないかと思っている。

Revolver

Revolver

 

 私はビートルズに物凄く詳しいわけではないので「Revolver」が日本のビートルズファンの間でどれぐらいの人気度なのかはわからない。何となくビートルズを聴きたい人に勧める「最初の一枚」ではないという気がしている。一般的な知名度はこの前後の「Rubber Soul」と「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の方がきっと上だろう。しかし収録曲の多くが下の世代の英国オルタナティブ・インディーロックのバンドやアーティストの作品に多大な影響を及ぼしてる点で、本作は英国ロック史の中でもトップクラス級に重要な位置を占めるアルバムではないかと思っている。冒頭曲の「Taxman」一つとっても後のジャム(The Jam)の「Start」、ライド(Ride)の「Seagull」やマンサン(Mansun)の「Taxloss」への影響は明らかだし「Tomorrow Never Knows」もケミカル・ブラザーズの「Setting Sun」はじめ多数のカヴァーやサンプリングが存在する。本作で本格的に取り組んだインド音楽とロックの融合は後のクーラ・シェイカーに影響を与えたのは言うまでもないだろう。かように革新的なアルバムと言ってもいい本作なのだけれど、一方で「Here, There and Everywhere」「Good Day Sunshine」「For No One」のようにポール・マッカートニーが中心の曲はどれもポップで美しいメロディーに溢れてて聴いててほっこりするものが多く、実験的な曲群とのバランスが絶妙なのもこのアルバムのマジックと言えるかもしれない。

【この一冊】Brett Anderson「Coal Black Mornings」(2018)

今回は曲やアルバムでなく、音楽本を取り上げてみたいと思う。スウェードのフロントマンのブレット・アンダーソンが自伝を出版するという話は昨年春頃から出ていて、その時の記事ではスウェードのデビュー前のメンバーで当時ブレットの彼女だったジャスティーン・フリッシュマン(エラスティカ)がブレットと別れてデーモン・アルバーン(ブラー)と付き合いだしたあたりのことも触れているという話だったので、「これはきっとスウェードの衝撃的なデビューやらバーナード(・バトラー)のバンド脱退やらデーモンやジャスティーン他ブリットポップの主要人物がたくさん登場する90年代英国ロックの裏話がてんこ盛りだろうな」と半ばゴシップを期待する下世話な動機で読む気になったものである。しかし実際の内容はその下世話な動機を恥じたくなるような、極めて真面目で手堅い内容であった。ネタバレが嫌いな人もいると思うのでここでは詳しくは書かないけれど、本の大半は家族(特に両親)と経済的に苦しかった子供時代の話に費やされ、ジャスティーンやバーナードとの出会いやスウェード結成に向けて話が動き出すのは本の後半に差し掛かってからなので、本書はスウェードファンやブリットポップ&英国インディーロックファン向けというよりはブレット・アンダーソン個人の熱心なファン向けだと言っていいと思う(もっとも数々のスウェードの曲の由来が随所で語られるのでスウェードファンにとっても興味深い所は多々あると思う)。私などは彼のことをいまだにデビュー時の、知的で華やかで背徳的で反抗的かつナルシスティックで自信満々な「生まれながらのロックスター」的なイメージで見ていたのだけれど、本書を読んでそのイメージはかなり覆された感がある。正直な話「もっとはっちゃけても良かったんじゃないの~?」という気持ちもないではないけれど、本書全体を通じて伝わってくる謙虚さ丁寧さ真摯さはいかにも英国紳士的であり、これまであまり語られなかった彼の魅力を再発見することと思う。そしてその彼の人格形成に最も大きな影響を与えたのがこの本の前半でじっくりと語られる彼の家族である。経済的には食べるものにも困るほど困窮していたにもかかわらず芸術を熱愛する両親や姉を通して日常生活の中で音楽やアートや文学に幼少時から触れることができたことはブレット少年にとって幸運であったことは間違いないであろう。教養を与える/得るのにお金は全く関係ないということを痛感させられる。

Coal Black Mornings

Coal Black Mornings

 

 本書はKindle版が出ていたので原書にチャレンジしたのだけれど、正直言って原書の英文は非常に手ごわい。スラングの多用こそないものの難解な単語が多くやっぱり英語ネイティブの語彙力って半端ないのね~と泣く泣く何度も辞書を引いたものだ。内容の真面目さも手伝ってまるで大学の英語の副読本を読んでいるような気持ちになるので、よほど英語の勉強をしたい人以外は日本語訳を待ったほうがいいかもしれない(出るのか?)。それにしても(前回紹介した)ブラーの「13」や初期スウェードのバンドイメージに大きな影響を与えたジャスティーンという人は色々凄い女性だったんだなぁと改めて感心するばかりである。ジャスティーン本人は現在アメリカを拠点に画家として活躍しているけれども、彼女にもぜひ回想録を書いてもらいたいと思うのは私だけではないと思う。

 

【この一曲】Blur「Caramel」(「13」(1999))

前回の記事でブラーの「13」について少し触れたので、ついでにこのアルバムについてもう少し語ってみようと思う。前作「blur」(あるいは「無題」)は従来のブリット・ポップ路線から音楽性を大胆に転換し結果的に大成功したアルバムであった。それに比べると「13」の評判は残念ながら手放しで絶賛しているようなレビューをほとんど見たことがない。「脱ブリット・ポップ」路線は前作からの延長であるし、プロデューサーのウィリアム・オービットの個性が反映されているかというとそれも疑問だし、第一アルバムの前半と後半とで全く作風が異なるので、当時このアルバムリリース時に盛んに話題にされた「ジャスティーン(・フリッシュマン。エラスティカのヴォーカルでデーモンの長年のGF)との別れ」以上のわかりやすい売り文句が見当たらなかったのは仕方ない。これは全くの余談であるが、実はこの「13」リリースからたった半年後にデーモンと新しいGFのSuzi Winstanleyとの間に娘ミッシーが生まれたというニュースが入り、当時私が運営していたブラーのファンサイトの掲示板でも「何それ?」と戸惑うファンの書き込みが少なくなかったものである。「だったら最初から失恋の痛手とか大々的に宣伝しなくてもいいじゃんね~」ってなものだ。それ以来私はこの手の「別離の痛手」で語られる作品に対してはまず疑ってかかることにしている。翌年リリースのマンサンの3rd「Little Kix」についてやはりポール・ドレイパーの失恋がどうのという文脈で語られているのを見たときには「もう騙されないぞ」と思ったものだ(笑)。っていうかアルバム全体の作風がデーモンなりポールなり1人のメンバーの個人的な心情に影響されるのだとしたら他のメンバーにしてみれば「バンドを私物化すんな」って話になるんじゃないだろうか。この「13」の次のアルバム「Think Tank」制作中にギターのグレアム・コクソンが脱退するのであるが、デーモンとの個人的な確執が原因というよりは純粋に音楽的志向の相違だったんだろうと思う。前作「Blur」は当時USオルタナティブ/インディーロックに入れ込んでいたグレアムの主導で制作されたところがあるが、「13」はデーモンとグレアムの互いに異なる持ち味を何とか摺合せようと妥協点を図っている様子が作品から透けて見える。前半はゴスペル風の「Tender」やグレアムがヴォーカル+可愛い牛乳パックのPVで有名な「Coffee & TV」などキャッチーな曲が並ぶが後半の「Battle」~「Trimm Trabb」までは1曲につながっていると言っていいほど似たような雰囲気のダークでカオティックな曲が続くので好き嫌いが分かれるとしたらこの後半ではないだろうか。しかし1st「Leisure」にも似たようなサイケデリックな雰囲気の曲が結構あるしある意味この問題の後半のほうが原点回帰といえるんじゃないかと思う。実は私はこの後半のほうが好きで後半だけ聴いていることも多いのだが、どの曲にも混沌とした中にほのかなポジティヴィティーが感じられるし当時盛んに言われていたほどに「ジャスティーンとの別れ」が作品に影を落としているとは思えないんである。とりわけアルバム最後を締めくくる「No Distance Left to Run」の子守歌のように優しいメロディーは、それまでのダークなカオス沼に晒された耳には何やらカタルシスのようなものを与えてくれていると思う。


Blur - Caramel - 13

中でもこの「Caramel」はダークで難解で複雑怪奇な後半部においても最強にブッ飛んでる曲ではないだろうか。この曲についてマニックスのニッキーは「クラスター(←ドイツのクラウトロックのバンド)の曲名からパクってるんじゃないか」と指摘しているが、曲そのものにクラスターのそれと似てる点は殆どないにしてもこの曲の持つ空気感は当時デーモンが傾倒していたクラウトロックサイケデリック・ロックの影響を受けていることは間違いない。またCaramelはスラングでヘロインの意味を持つが、その名の通りドラッグでもやってないとまず表現できないであろう何かが憑依したような狂気一歩手前のトリップ感あふれる曲である。ここまでは前々からデーモンやグレアムが影響を公言していたジュリアン・コープシド・バレットの作風に共通するものが感じられるのだけれど、さらにわけわからないのが曲の終わる30秒前のあたりから唐突に曲調が変わってバイクの音に続いてノイジーなギターが派手に暴れまわる所である。ある意味それまでのサイケデリックでスピリチュアルな雰囲気がこの30秒間でぶち壊しじゃんと思うのだけれど、意地でも予定調和的な終わり方はしないぞという当時の彼らの妙なこだわりが感じられるように思われるのである。かのように「13」は雑多な要素が入り混じったとりとめのない内容の実にとっつきにくいアルバムなのにしっかり全英チャート1位取ってるところはさすがブラーというしかないが、それって例の「ジャスティーンとの別離」を大々的に宣伝したおかげなのだろうか?だとしたらパーロフォンも「失恋ネタはウケる」と思ってマンサンのLittle Kixにそれを流用してもおかしくないわなぁ(笑)。まあこれは全くの憶測にすぎないのだけどね。

【この一曲】Mansun「Forgive Me」(「Little Kix」(2000))

作品だけ聴けば充分に良い作品なのにその作品の背景やアーティスト本人が否定的立場をとっているために何となく微妙な評価をされているアルバムというのがあるが、マンサン(Mansun)の3rdアルバム「Little Kix」もその1つである。プログレッシブ・ロック的要素をふんだんに盛り込むことでブリットポップブームの余韻が色濃く残っていた当時のUK音楽シーンに多大なインパクトを与えた前作「Six」の複雑怪奇さとは全く対照的に、「Little Kix」はシンプルで洗練された音作りと物悲しくも美しいメロディーが特徴的なバラード主体のクラシックなポップアルバムである。歌詞もそれまでの比喩や皮肉に満ち溢れた作品群とはうって変わって何のひねりもないストレートなラブソングが多く、当時はこの唐突な路線変更について「ポール・ドレイパーの個人的な経験に基づいてる」と説明されていたために一般的には「ポールの失恋」がテーマのアルバムとされているのだが、この説明に当時から何らかの引っ掛かりを感じていたファンは少なくなかったと思う。「ポールに彼女がいたなんて」とショックを受けた女性ファンもいただろうけどそれ以上に私は「本当かよ?」と思ったものである。何故なら本作の1年前にリリースされたブラーの「13」がまさに「デーモン・アルバーンジャスティーン・フリッシュマン(エラスティカ)の別離」がテーマだったので、本作におけるポールのエピソードは物凄く二番煎じ感を受けたものである。ブラーもマンサンと同じパーロフォンの所属だったし会社の側がその路線で売ろうとでも思ってたんじゃないだろうか。また本作リリース当時のメンバー達の発言も「Little Kixは前2枚とは全く無関係だ」「前2枚と違うタイムレスなアルバムを作りたかった」「スモーキー・ロビンソンのような曲を作りたかった」の一点張りでどこか不自然というか腑に落ちない点が多く、どこかバンドの方向性に一抹の不安を覚えたものだった。最近になってポールは複数のインタビューで本作の制作背景について「レコード会社からSixの時みたいなプログレ要素は一切入れるなと厳命された。だからあんな作りになってしまった」と相当不満を露にして語ってるが、当時本作のテーマであったはずの失恋の事は全く触れてないので、失恋ネタはウソか、ウソでなかったとしてもLittle Kixでの唐突な路線変更の直接的原因ではなかったのだろうと推察される。恐らく多くのマンサンファンがこの作品を素直に受け入れられないのは(1)前作からの路線変更があまりにも唐突すぎるしその理由もどこか不自然(2)本作の作風がポールが自ら進んで選んだ路線でないのが曲群からも透けて見える、というのを直感的に感じ取っていたからじゃないかと思う。大体ポールみたいなメンタリティーの人間が失恋した時にあんなどストレートな甘甘ラブソング集など作るだろうか?ブラーの「13」なんか比じゃないダークで訳のわからんアバンギャルドな作品(しかも1曲30分以上)になるに決まってるよ(←そっちのほうが面白いなと今書いて思った)。
とはいえ、冒頭に書いた通り制作の背景を抜きにすればLittle Kixは作品としてのクオリティは充分に高いと思う。レコード会社からの「プログレ要素は一切入れない」という制限の中で精一杯ベストを尽くした作品と言えるだろう。ファンには今一つ素直に受け入れられない(?)ラブソング群は恐らく(当時メンバー達がさかんにスモーキー・ロビンソンを引き合いに出したように)かつてのモータウンのヒット曲のようなシンプルさを意識したのだろうと思う。これは無理矢理ポジティブな見方であるが本作は、前2作の随所に見られたギミックを一切排した、素のメロディーだけで人を惹き付けられる曲が書けることを証明した作品であり、ここで聴けるポールのヴォーカルもよく伸びる豊かな低音が特に素晴らしく、リスナーをして彼が一流のメロディーメイカーでありシンガーであると確信させるに充分な作品であると思う。ポールは度々「Little Kixは出すべきじゃなかった。Spooky Action(←ポールのソロ1st)こそが真のマンサンの3rd」と言うのだけれど、Little Kixもまたマンサンの音楽性を形成する一要素であり、この路線の延長にSpooky ActionやThe Anchoressの1st(収録曲の大半がポールの共作)があると思うので、あんまり否定してもらいたくないなぁというのが正直な気持ちである。

Mansun - Forgive Me
でも本作リリース当時、収録曲の「Forgive Me」を聴いて「これが一番許せないよね」と妹と言ってたのも事実。だってこれカルチャー・クラブみたいじゃん(笑)「Forgive Me」などと予め予防線張ってそうなタイトルなのも気に入らん。いや、曲自体は好きなんですよ?曲の終盤でビートルズのCome Togetherみたいなギターをこっそり忍ばせているのも彼らの反抗心が感じられていい。でもいつ聴いても後でボーイ・ジョージの声で脳内再生されちゃうんですが。

【この一曲】Manic Street Preachers「Condemned to Rock 'n' Roll」(「Generation Terrorists」(1992))

今でこそKscopeとか現代プログレとかプログレッシブメタル周りのバンドばかり聴いているけれども、このブログのタイトルが示す通り私は元々マニック・ストリート・プリーチャーズのファンなのである。「プログレ否定のパンクロックの流れを汲むマニックスとポストプログレのレーベルのKscopeって全く相容れなくない?」と思われる人もいるかもだけれど、実際Kscopeの歌姫の一人であるThe Anchoressのキャサリン(Catherine Anne Davies)もマニックスの熱心な信奉者なのだからマニックスとKscopeの両方同時に好きという人は他にも案外いるんじゃないかと思う。そもそもマニックスのパンク的なアティテュードはリッチー・エドワーズが作り出したもので、ジェームズ=ディーン・ブラッドフィールドやニッキー・ワイアなどは元々ラッシュ(Rush)のファンで過去にもラッシュの「The Spirit of Radio」のパクリ、じゃなくてオマージュみたいな曲(「Journal for Plague Lovers」)を作ってるし音楽的にはさほどプログレ的なものを否定はしていないのではないか。そもそもスティーヴン・ウィルソンの「Hand.Cannot.Erase.」のタイトル曲だってマニックスの「(It's not War)Just the End of Love」そっくりだったしな(←まだ言ってる)。元々マニックスの作品が持つメロディアスかつどこか感傷的でメランコリックな世界観は多くのKscopeアーティストたちの作品が持つ世界観と親和性が高いのだろうと思う。特にAnathemaの「Untouchable pt.1」などはジェームズが歌ってても全く違和感ないのではないか。最近はマニックスとも共通のファンの多いマンサン(Mansun)のポール・ドレイパーもKscopeに移籍してきたし、この辺の「既存のジャンルを超えた、叙情的で耽美で感傷的でメランコリックな音楽」が今後ますます充実していくのが楽しみである。

と前振りが大分長くなってしまったのであるが、そんなマニックスに私が本格的にはまったきっかけとなったのが1st「Generation Terrorists」(以下GT)の本編最後を飾る「Condemned to Rock 'n' Roll」である(実際は盤によってこの後に異なるボーナストラックが入っている)。GTはガンズ&ローゼズを始めとする80年代HR/HMやグラム・メタルに影響を受けたアルバムで、音だけ聞いただけではイギリス(正確にはウェールズだけど)出身とはイメージできない大陸的な明朗さを持つキャッチーなメロディーのハードロックが特徴であるが、メジャーコードばかりのGTの中にあってこの曲だけが唯一のマイナーコード曲なのと、6分間の演奏時間のうち計3分近くギターソロを含むインストパートなのが色々と異質な所である。当時のマニックスグラムロックやパンクにインスパイアされた派手な服装とやたら難解な歌詞と「4REAL」事件を始めとする過激な言動により他の同時代にデビューした有象無象の新人バンドと一線を画す存在感を放っていたが、肝心の演奏がヘタクソで特にリッチーなどはギタリストと名乗ってるくせに殆どギターが弾けなかった(本人も「別に上手くなりたいとも思わない」と言っていたと思う)ぐらいなのだから、そんな彼らがこの曲で目一杯本格的なHR/HMをやろうとする姿に妙な感動を覚えたものである。当時まともに楽器が弾けるのはジェームズだけと言われていたのだが、この「Condemned~」において「俺ら歌詞だけじゃないぞオラ」と言わんばかりに延々とアピールされるギターソロはマニックスの楽曲担当であったジェームズの意地でもあるんだろう。それどころかドラム以外のパートを全部ジェームズが弾いてるんじゃないかぐらいの勢いだ。マンサンの「Six」にも言えるのだがこういう、演奏力よりセンスとアティチュードとアイデア勝負の性格の強いオルタナティブ/インディーロック出身バンドが一定レベルの演奏能力を要求するメタルやプログレに果敢にチャレンジする姿勢は既存のジャンルの枠内に要領よく収まっているバンドよりも勇気があるし、その勇気に惹かれるリスナーも多いんじゃないかと思う。当時「全世界でNo.1になる2枚組アルバムを出して解散する」という例の「解散宣言」に「カッコいいまま消えることの美学」を期待していたファンも少なくなかったけれど、この「Condemned~」には「バンドを自分たちのシリアスなキャリアとして続けたい」という彼らの本音が現れていたように思えてならない。

とはいえこの曲がスタジオ技術を駆使して録音されたものであることは聴けば誰でも丸わかり(ギター2本聞こえるけどリッチーが弾けるわけないし)であったからこの曲がライブで再現できるとは当時到底考えられず実際ライブで演奏されることは数年前まで殆どなかったと記憶している。10年ぐらい前ぐらいから曲の一部をジェームズがアコースティックで演奏したりしていたが、バンド形式でフルで演奏するようになったのは恐らくここ2,3年ぐらいであろう。下の動画は2015年のカーディフ城ライブの時の演奏である。


Manic St Preachers - condemned to rock and roll - Cardiff Castle 5/6/15

ヘタクソ時代のマニックスを知る者としてはこの曲がちゃんと本人たちの演奏で再現されているのを見るだけで嬉しくなる。「この曲がやっとライブでできるようになったんだ凄いじゃーん」ってなものだ(笑)。時折高音域の所でキーを落としたり裏声を使ってはいるが殆ど元曲に忠実な演奏でこれが日本でも聴けたらマジで号泣するかもしれない。「いい歳してマジ泣きするとか痛すぎる」って思うかもだけどいざ始まったら多分マジ泣きするオジサンオバサン続出だよ?