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sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Rhythm of Love」 Kylie Minogue (1990)

 カイリー・ミノーグは今やマドンナと並ぶポップ・アイコンであるが、そのキャリアは女優としてのほうが先だった記憶がある。1986年に本国オーストラリアの人気ドラマ「Neighbours」のシャーリーン役で注目を浴び、歌手としては翌年の1987年に「Locomotion」でデビューしたのである(このドラマでジェイソン・ドノヴァンと共演しており。この曲もいきなり全米3位全英2位という大ヒットだが多くの日本人にとっては何と言ってもカイリーの代表曲と言えばその次のシングル「I Should Be So Lucky(邦題「ラッキー・ラヴ」)」ではないだろうか。この時代のカイリーは典型的な「隣のお姉さん」的アイドルであり、当時のトレードマークであったブロンドのカーリーヘアが健康的ながらどこか野暮ったく見せていたのも事実である。しかし「アイドル」の枠にとどまらない彼女の歌唱力と当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったストック・エイトキン・ウォーターマンのキラキラ感あふれるサウンド・プロダクションはパーフェクトと言っていいぐらいの組合せでSAWの全面的プロデュースによってなる最初の2枚のアルバム(「Kylie」「Enjoy Yourself」)はいずれも全英1位を獲得、まさに当時のトップ・アイドルとして英国ポップス界に君臨していたのである。そんなカイリーが現在のセクシーで洗練されたポップ・アイコンへの転身を図る最初のターニングポイントとなったのがこの1990年リリースの3rdアルバム「Rhythm of Love」だ。

Rhythm of Love

Rhythm of Love

 

 この時期のカイリーはINXSの故マイケル・ハッチェンスと付き合っていて、このアルバムにもマイケル・ハッチェンスに向けたものと思わせる曲がいくつか収録されている。しかしINXSのワイルドなロックスターのマイケルと清純派(と当時はみなされていた)アイドルのカイリーの組み合わせは当時のファンを当惑させたようでこの時期の「Smash Hits」誌ではずいぶんと叩かれていた記憶がある。およそアイドルがセクシーな大人のイメージを身につけようとする試みは大抵ひどく叩かれる。ちょっと思い起こすだけでも同郷の大先輩であるオリヴィア・ニュートン・ジョンはじめマライア・キャリーブリトニー・スピアーズも「清純派」から「セクシー路線」への転向直後は雑誌でも随分と批判的な記事を見かけたものだ。しかしこの時期のカイリーの賢さと強さを見抜いていたのが他でもないマニックスのジェームズである。本当かウソか不明だがマニックスの連中は当初は「Little Baby Nothing」のデュエットの相手にカイリーを想定していたらしい。その際に話す機会でもあったんだろうか、当時のインタビュー記事でジェームズは彼女についてこのように語っている「彼女はマスコミから「頭カラッポ女」と思われてるけど、実際は思っているのと全く逆で彼女は男が受け身で傷つきやすくて弱いところを利用しているんだ。億万長者になれるのは彼女であって男のほうじゃない。彼女の持つ力というのは無意識のうちにそれを発揮して男をあざ笑うようなところがあるんだ」(クロスビート1992年3月号、一部改編)。その「力」が元々彼女が持っていた資質なのかマイケル・ハッチェンスとの交際によってもたらされたものなのかはわからないが、いずれにせよマイケルとの交際がこの3rdの制作に影響を与えていたことは確かで、それまで「SAWのお抱えシンガー」であったカイリーが初めてSAW以外のプロデューサーを迎え、自らも作曲に参加しているという点で画期的な作品と言える。そしてこの外部プロデューサー(マイケル・ジェイ、キース・KC・コーエン、ステファン・ブレイ)作品の曲(「The World Still Turns」「One Boy Girl」「Count the Day」「Rhythm of Love」)が素晴らしい。いずれもそれまでのSAW作品とは違ったR&B色の強い曲群であるが、セクシーでアダルトな路線を目指しながらも決して不健康にならないところは彼女の個性なのだろう。路線変更に対する周囲の戸惑いがあったのかチャート的には全英9位とそれまでのカイリーの記録に比べるとかなり落ちるが、このアルバムなくして現在のカイリーの姿はなかっただろうと思えるほどの意欲作だ。