sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

【この1曲】David Sylvian「Whose Trip Is This」(「I Surrender」(1999))

音楽歴が無駄に長くなってくると「いい曲なんだけど別にこのアーティストで聴きたいわけじゃないんだよなぁ」と微妙な気持ちにさせられる曲に出会うことが増えてくる。そのアーティストがある特定のイメージで語られるタイプであればなおさらだ。ミュージシャン側にしてみればハタチかそこらでデビューした当時の音楽性のまま何十年も変わらないでいるというのはおよそ不自然な話で、やはりその間にその時の流行や本人の音楽的嗜好の変化に合わせて曲を作りたいと思うのは当然だけれど、メディアやファンはその変化に戸惑ったり不満に思ったりするものだから難しいものである。

デヴィッド・シルヴィアンは長年、耽美だとかアートだとかといった文脈で語られてきた人だけれども、ジャパン時代からの多くのファンに支持されてきた欧州耽美路線はその集大成というべき3rd「Secrets of the Beehive」で打止めとなり、その後レイン・トゥリー・クロウやシルヴィアン・フリップ等のプロジェクトやイングリッド・シャヴェイズとの結婚を経て、活動拠点をアメリカに移した後に制作された4th「Dead Bees on a Cake」はジャズやブルース、R&B等を取り入れた、成熟した大人の雰囲気漂う「歌モノ」作品となった。それまでの彼の耽美でヨーロピアンな雰囲気が好きだったファンは「こんなアメリカ臭いデビシルはなんか違う」と戸惑う人も多かったようだがデヴィッド・シルヴィアンの朗々とした低音ヴォーカルは元々この系のアダルト・コンテンポラリー路線に合っているのであって、当時のイングリッドとの幸福な結婚生活を象徴する、シルヴィアン作品として貴重な立ち位置を占めるアルバムである。この「Whose Trip is This」はその「Dead Bees〜」からのシングル「I Surrender」のカップリング曲であり、作風は非常に「I Surrender」に似通っているのだが、ヴォーカルがイングリッドのためにより甘く軽やかで洗練されたR&B曲に仕上がっている。元々は(デヴィッドが制作に全面協力した)イングリッドの2ndソロアルバムとして予定されていた「Little Girls With 99 Lives」に収録されていた曲なのだがレコード契約に結びかず結果的にこのアルバム収録曲が「I Surrender」の2種類のシングルにそれぞれ収められることになったものらしい。


Whose Trip Is This - David Sylvian

しかし、この遅れてきたスタイル・カウンシルみたいな曲を聴けば聴くほど「何もデヴィッド・シルヴィアンでこんなの聴かなくてもなあ」という違和感が募るもの事実で、しかも自分の作品に元は妻名義だった曲をちゃっかり入れてしまう公私混同ぶりに「ノロケるのもいい加減にしろ」という気持ちになってくる。スタカン時代のポール・ウェラーにも当時の妻ディー・C・リーとのラブラブ激甘デュエット曲があるけれど彼の場合元々がそういう性格なので「まあしょうがないよね(苦笑)」で済む話なんだが、私生活はともかく音楽的には過度の甘いロマンティシズムを排除したストイックなイメージのデビシルがこんなスウィートでお洒落な曲をやっても不気味なだけである。まあこの辺はリスナーの勝手な思い込みであって、むしろ当時の彼がこのような「らしからぬ」曲を作る気になった背景に目を向けるべきなんだろう。きっとこの時期の心境は最近出された彼の評伝に詳しく説明されていると思うが、後の「Blemish」における荒涼とした心象風景(イングリッドとの離婚が影響している)を思うとこの「Whose Trip is This」の明るさが却って切なくなってしまうのである。最近はすっかり抽象音楽の彼方に行ってしまった感のあるデヴィッド・シルヴィアンだが、ここまでベタじゃなくていいからたまにはメロディーのある音楽に立ち返ってもいいんじゃないかと思う。いや今の難解抽象路線でも構わないから少なくとも自分で歌ってほしいよな~この前のアルバムみたく詩の朗読向け音楽じゃなくて。