sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

【この一曲】Blur「Caramel」(「13」(1999))

前回の記事でブラーの「13」について少し触れたので、ついでにこのアルバムについてもう少し語ってみようと思う。前作「blur」(あるいは「無題」)は従来のブリット・ポップ路線から音楽性を大胆に転換し結果的に大成功したアルバムであった。それに比べると「13」の評判は残念ながら手放しで絶賛しているようなレビューをほとんど見たことがない。「脱ブリット・ポップ」路線は前作からの延長であるし、プロデューサーのウィリアム・オービットの個性が反映されているかというとそれも疑問だし、第一アルバムの前半と後半とで全く作風が異なるので、当時このアルバムリリース時に盛んに話題にされた「ジャスティーン(・フリッシュマン。エラスティカのヴォーカルでデーモンの長年のGF)との別れ」以上のわかりやすい売り文句が見当たらなかったのは仕方ない。これは全くの余談であるが、実はこの「13」リリースからたった半年後にデーモンと新しいGFのSuzi Winstanleyとの間に娘ミッシーが生まれたというニュースが入り、当時私が運営していたブラーのファンサイトの掲示板でも「何それ?」と戸惑うファンの書き込みが少なくなかったものである。「だったら最初から失恋の痛手とか大々的に宣伝しなくてもいいじゃんね~」ってなものだ。それ以来私はこの手の「別離の痛手」で語られる作品に対してはまず疑ってかかることにしている。翌年リリースのマンサンの3rd「Little Kix」についてやはりポール・ドレイパーの失恋がどうのという文脈で語られているのを見たときには「もう騙されないぞ」と思ったものだ(笑)。っていうかアルバム全体の作風がデーモンなりポールなり1人のメンバーの個人的な心情に影響されるのだとしたら他のメンバーにしてみれば「バンドを私物化すんな」って話になるんじゃないだろうか。この「13」の次のアルバム「Think Tank」制作中にギターのグレアム・コクソンが脱退するのであるが、デーモンとの個人的な確執が原因というよりは純粋に音楽的志向の相違だったんだろうと思う。前作「Blur」は当時USオルタナティブ/インディーロックに入れ込んでいたグレアムの主導で制作されたところがあるが、「13」はデーモンとグレアムの互いに異なる持ち味を何とか摺合せようと妥協点を図っている様子が作品から透けて見える。前半はゴスペル風の「Tender」やグレアムがヴォーカル+可愛い牛乳パックのPVで有名な「Coffee & TV」などキャッチーな曲が並ぶが後半の「Battle」~「Trimm Trabb」までは1曲につながっていると言っていいほど似たような雰囲気のダークでカオティックな曲が続くので好き嫌いが分かれるとしたらこの後半ではないだろうか。しかし1st「Leisure」にも似たようなサイケデリックな雰囲気の曲が結構あるしある意味この問題の後半のほうが原点回帰といえるんじゃないかと思う。実は私はこの後半のほうが好きで後半だけ聴いていることも多いのだが、どの曲にも混沌とした中にほのかなポジティヴィティーが感じられるし当時盛んに言われていたほどに「ジャスティーンとの別れ」が作品に影を落としているとは思えないんである。とりわけアルバム最後を締めくくる「No Distance Left to Run」の子守歌のように優しいメロディーは、それまでのダークなカオス沼に晒された耳には何やらカタルシスのようなものを与えてくれていると思う。


Blur - Caramel - 13

中でもこの「Caramel」はダークで難解で複雑怪奇な後半部においても最強にブッ飛んでる曲ではないだろうか。この曲についてマニックスのニッキーは「クラスター(←ドイツのクラウトロックのバンド)の曲名からパクってるんじゃないか」と指摘しているが、曲そのものにクラスターのそれと似てる点は殆どないにしてもこの曲の持つ空気感は当時デーモンが傾倒していたクラウトロックサイケデリック・ロックの影響を受けていることは間違いない。またCaramelはスラングでヘロインの意味を持つが、その名の通りドラッグでもやってないとまず表現できないであろう何かが憑依したような狂気一歩手前のトリップ感あふれる曲である。ここまでは前々からデーモンやグレアムが影響を公言していたジュリアン・コープシド・バレットの作風に共通するものが感じられるのだけれど、さらにわけわからないのが曲の終わる30秒前のあたりから唐突に曲調が変わってバイクの音に続いてノイジーなギターが派手に暴れまわる所である。ある意味それまでのサイケデリックでスピリチュアルな雰囲気がこの30秒間でぶち壊しじゃんと思うのだけれど、意地でも予定調和的な終わり方はしないぞという当時の彼らの妙なこだわりが感じられるように思われるのである。かのように「13」は雑多な要素が入り混じったとりとめのない内容の実にとっつきにくいアルバムなのにしっかり全英チャート1位取ってるところはさすがブラーというしかないが、それって例の「ジャスティーンとの別離」を大々的に宣伝したおかげなのだろうか?だとしたらパーロフォンも「失恋ネタはウケる」と思ってマンサンのLittle Kixにそれを流用してもおかしくないわなぁ(笑)。まあこれは全くの憶測にすぎないのだけどね。