sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

【この一冊】Sara Hawys Roberts and Leon Noakes 「Withdrawn Traces: Searching for the truth about Richey Manic」(2019)

マニック・ストリート・プリーチャーズ(以下「マニックス」)及びリッチー・エドワーズに関する伝記やバンドヒストリー本はこれまでにも何冊と出版されているが、「Withdrawn Traces」の注目すべき点はリッチーの実妹のレイチェルさんが全面的に取材協力をしている点である(彼女本人による序文も添えられている)。ところが海外のマニックスファンの間では本作については賛否両論どころか否定的な意見が多く、よくも悪くも「問題作」となっているようだ。

本書の主なポイントとしては以下のようなのが挙げられると思う。

①一般的に知られている「マニックスの失踪したメンバー」「苦悩と悲劇のロックスター」というイメージにとどまらない、素のリッチーの姿を浮き彫りにするために学生時代の友人やガールフレンドなど、マニックス関係者以外の人々に取材を行っている。

②リッチーの学生時代の作文や日記や愛読書の内容から失踪や逃亡、陰遁生活に対する彼の強い関心が窺え、彼の失踪は衝動的な自殺目的ではなく何年も前から念入りに計画されたものと考えられる。

③リッチーの失踪に対する当時の警察の対応は適切なものとは言えなかった。またマニックスの他のメンバーもリッチーの捜索に対してあまり協力的とは言いがたいものであった。

ところが①に関しては幼少時代や学生時代のエピソードよりも「The Holy Bible」期の言動や失踪前後の様子に多くのページが割かれているために、結果的に「素のリッチー」よりも拒食症やアルコール依存、自傷癖に苦しむ従来からのリッチーのイメージが強調された形になってしまってるし、②に関しては仮に著者の主張の通りどこかで生存していたとしたら彼の家族やバンドメンバーに何十年も多大な悲しみを与え続けているわけでそれはリッチーの性格上最も考えにくいことであり、③に関してはバンドに対する中傷以外の何物でもない、という問題が指摘されている。確かに本書における著者の膨大な取材量と緻密な調査力は称賛に値するものの、それらから導き出される結論の部分において若干勇み足の部分があることは否めない。本書では「この事からリッチーは~ということを考えていたのではないか?」「もしもリッチーが~でなかったら違う展開になってたのではないだろうか?」という疑問形の推論が繰り返し登場するが、むしろ読み手側からすると「え、何でその資料からその推論が引き出されるの?」と戸惑う部分が多く、著者は執筆当初からリッチーについて特定の結論を持っていて、友人の証言や学生時代のエッセイなどの参考資料は著者の考えるリッチー像に合うように意図的に選択されたのではないかとすら思うほどだ。しかし「リッチーの真の姿を知ってほしい」という著者(及びレイチェルさん)の狙いが却って従来からの「破滅的なロックスター」のイメージを強調される形になったとしても、それは著者達の落ち度ではなく元々リッチーの性格や考え方が伝統的なロックカルチャーが象徴するものと著しい親和性を持っていたからで、彼の「真の姿」を追おうとすればするほど彼が「ロック神話」と不可分であることを痛感するのではないかと思う。リッチーの天才的な面と同時に厄介な面があるとすれば、マニックスという存在をバンドでなく一種の「作品」や「象徴」のように捉えていた所だろう。例の「解散宣言」もリッチーの理想である「若くて美しいまま消える」の具現化に他ならない。本書ではリッチーと他のメンバーとの間に度々意見の不一致があったと主張されているが、リッチーと違い他のメンバー達はマニックスを「象徴」などではなくリアルの「キャリア」と考えていたのだとしたらそれはもっともな話で、他の仕事を持たずにバンドに専念する以上できるだけ長く活動したいに決まってる。それを妥協であるとかリッチーに対する裏切りと言うのは少々ジェームズ達に対して酷ではないだろうか。著者はバンド側がリッチーの捜索に非協力的だったのではという示唆をしているが、彼らも小さい頃からの親友とはいえリッチーの家族と同レベルで四六時中彼の捜索に手を尽くすのは彼ら自身の生活もある以上非現実的だと言わざるを得ないし、何かとリッチーを語る事で彼の失踪をエンターテイメントとして消費されたくないというバンドの姿勢こそ、リッチーに対する真の思いやりでありリスペクトではないかと思う。

Withdrawn Traces: Searching for the Truth about Richey Manic, Foreword by Rachel Edwards

Withdrawn Traces: Searching for the Truth about Richey Manic, Foreword by Rachel Edwards

 

この本にはリッチーの愛読書から彼の思想や行動を読み取る試みや、失踪後にホテルで発見された小箱の内容、シド・バレット(元ピンク・フロイド)との性格的な類似性の指摘など興味深い記述は多いが、中でも最も心を打つパートは最終章のレイチェルさんによる、失踪直後から現在までのリッチー捜索に関する種々のエピソードである。警察を何度も訪ねたり海事沿岸警備庁や英国水路部といった河川を管轄する機関にも問い合わせたりイギリス国中の修道院に手紙を出しまくるなどあらゆる手を尽くして兄の消息の手がかりを得ようとしたにも関わらず全て徒労に終わってしまったこと、ガンを患い余命いくばくもないことを知った父と一緒に兄の死亡宣告を受けに行った下りは彼女の心情を思うとこちらも辛くなってしまう。失踪者家族会の代表として国内の様々な活動に精力的に参加し「起きて最初に考えるのも、寝る前に最後に考えるのも兄のことです。彼の消息が本当にわかるまで私は諦めません」と言うレイチェルさんを見ると、リッチーを一番愛しているのは結局レイチェルさんで、彼が人に絶えず求めていた「愛」もこのような絶対的なものだったのではないかと思われるのである。

先程この本には賛否両論あると書いたけれども、少なくともリッチーがどんな人だったかをファンに改めて考えさせた点でこの本の試みは成功していると思う。しかし何しろリッチー以外のバンドメンバーに批判的な含みを感じる本なので、「Everything: A book about Manic Street Preachers」(Simon Price著)等定評のあるバンドヒストリー本を先に読んでから本書に当たった方が良いと思う。本当はどちらも邦訳が出てほしいのだけど、日本におけるマニックス知名度を考えると難しいのかな。