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sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Duran Duran」 Duran Duran(1981)

デュラン・デュランは何だかんだでいろんなアーティストに影響を与えているバンドだと思う。前回取り上げたブラーの「Girls and Boys」におけるベースラインはジョン・テイラーの影響丸出しだったし、マンサンのポール・ドレイパーの歌い方はサイモン・ル・ボンとの類似性を指摘されていたしロストプロフェッツに至っては「A View to a Kill」のカバーまでしているのである(そもそもバンド名がDDの海賊盤ライブアルバムの名前から来ているのらしい)。デュラン・デュランが同時代の80年代UKバンドと一線を画すところがあったとすればそれは特定のメンバーが突出して目立っていたのではなく全てのメンバーのキャラが立っておりしかも絶妙なバランスで調和が保たれていたところだったんじゃないかと思う。一番人気であったジョン・テイラーも「自分はあくまでバンドの一員というスタンスが合っている」というようなことを自伝で語っていたと思うのだが、グループならではの「華」を感じさせるバンドであったことは確かである。

 

Duran Duran

Duran Duran

 

 このデュラン・デュランのデビューアルバムは当初FM番組で特集されたのをテープに録音したものをずっと聴いていてCDの形で買ったのはずっと後になってのことである。「Planet Earth」「Girls on Film」「Careless Memories」など有名な曲が多いが他の収録曲も粒揃いである。ちなみに上のジャケットがオリジナルでありわたしが持っている盤(後の全英No.1ヒット曲「Is There Something I Should Know」が追加されている)はこれとは写真が違っている。この時期のニック・ローズは髪を上のジャケット写真のように黒くしたり後に赤く染めていたことが多かったのだが当時あまりにもニックの外見がデヴィッド・シルヴィアンに似てるとか言われていたりしてたんで単なるジャパンのパクリバンドみたく思われることを警戒したことは想像に難くない(まあ実際はジャパンの連中にデモテープを送ってプロデュースを依頼したりするなど普通にファンだったらしいんだが)。当初わたしはジャパンは「Tin Drum」(1981年)のイメージが強くデュラン・デュランがジャパンと比較されていたのはルックスだけかと思ってたんだが後に「Quiet Life」(1979年)を聴いて「デュランの元ネタはこれか」と驚愕したものである。しかしジャパンとデュラン・デュランを決定的に区別するもの、それはサイモン・ル・ボンの存在なんだと思う。サイモンは言うまでもなく「エンターテイナー」であり「パフォーマー」である(大学時代に演劇を専攻していたのも彼のパフォーマーとしての資質に大いに貢献しただろう)。そして彼が最もその魅力を発揮する場所はライブステージである。雑誌のグラビアだとジョン・テイラーニック・ローズのほうが目立つがライブで一番目を引くのはサイモンなんである(写真よりも全然痩せて見える)。ジョンがデュランの「PVが話題のMTVバンド」というイメージを否定したりカルチャー・クラブとの違いを主張するのに幾度となく「デュラン・デュランはライブ・バンドだ」という言い方をしていたのもサイモンを中心とする自分たちのライブ・パフォーマンスに絶対的な自信があったからなんだと思う(この点人気絶頂期のジャパンにおいてデヴィッド・シルヴィアンがライブを嫌がったのとは対照的だ)。ただ、このニューロマらしい翳りのあるクールな空気に支配されたデビューアルバムにおいてはその「ライブバンドならではの躍動感」は控えめでそれが存分に発揮されているのはその次の「Rio」(1982)ではないかと思っている。