sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

【この1曲】華原朋美「I'm Proud」(「LOVE BRACE」(1996) )

以前、Catherine Anne Davies(The Anchoress)の記事で「著名な男性ミュージシャンがプロデュースした女性アーティスト」というイメージが定着することへの危機感について触れたが、逆に「プロデュースされた女」を自ら全面的にアピールしたのがこの「朋ちゃん」こと華原朋美と言っていいだろう。何しろJ-POP全盛期の90年代中盤にtrfやglobe、安室奈美恵ら多数のアーティストの曲を次々とヒットさせ当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室哲哉の「彼女」という触れ込みでデビューしたぐらいである。当時彼らを見て「公私混同もたいがいにしろ」「16も年下の女の子と付き合うとかどんだけよ」と思ったものだけれど、朋ちゃんの「有名プロデューサーに才能を見出されて恋愛関係になり彼のプロデュースであっという間にミリオンセラーを連発する人気歌手に」というシンデレラストーリーは若い女性達の憧れであったらしい。しかし彼らの恋愛関係も長くは続かず99年には破局が報道され、その後の華原朋美の波乱に満ちたエピソードの数々はみなも知るとおりである。今から思えばそもそもラブラブとされていた全盛期でさえ2人で一緒にTV出演した時に「小室さん小室さん」と舌足らずな声でべったりと甘える朋ちゃんに対し声もボソボソと小さくどこか心ここにあらずな小室哲哉に違和感を覚えたものだ。まさか最初から「恋人」はただの演出で小室哲哉朋ちゃんに恋愛感情がなかったわけではないと思うが、彼女について「倍音を沢山含んだ豊かな響きを持つ声。滅多にいない声で、その声で生まれて良かったと思って欲しい」と絶賛する通り、純粋な恋愛感情というよりは華原朋美の「声」が持つ天性の資質と個性に夢中になっていたのではないだろうか。もちろん男性ミュージシャンにありがちな「自分のイメージ通りに女性をプロデュースしたい」みたいな欲求もあったとは思うけれども、それ以上に作曲のインスピレーションを得る源泉として彼女(の声)を重宝していたのだろうと思う。何より出会った当初は女優志望だった「遠峯ありさ」をその声が持つ可能性を見出し「歌手・華原朋美」として世に出したのは小室哲哉の数ある功績の中でも最大のものであろう。小室との破局のトラウマをいまだに克服できないのか朋ちゃんは最近のテレビ出演でも「私が華原朋美じゃなかったら(よかったのに)」と涙を流しつつ過去の自分を全否定していたそうだけれども、もし「華原朋美」がいなかったら彼女に憧れて芸能界入りを志した深田恭子もいなかったのだし、深キョンが大好きな私としては朋ちゃんに感謝してもしきれないのである。 


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この「I’m Proud」は華原朋美の3rdシングルで彼女の最大のヒット曲である。私もずいぶんカラオケで歌ったものだ。「華原朋美」のPVなのに当たり前のように小室哲哉まで堂々と映っているのが笑えるのだが、この曲のドラマチックな華やかさ、力強さと繊細さの見事なコントラスト、ロサンゼルスの超高層ビルの屋上で撮影されたPVのスケールの壮大さ、何よりも当時公私ともに幸せいっぱいの華原朋美の全身から放たれるキラキラオーラは何度見ても感嘆するしかない。彼女より歌唱力のある女性歌手はたくさんいるんだろうけれど、あの透明感あふれる高音と独特のビブラートは他の人が真似しようとしてもちょっとできない類のものではないだろうか。当時はこのPVを見ても「幸せいっぱいだよね」ぐらいにしか思わなかったのだけどその後の彼らの辿った道があまりにも波乱万丈なためにこのPVを見返すと「ああこの時代はよかったなあ、二人ともキラキラしているなあ」と涙すら出てきてしまう。破局から20年以上も経ち夫や子供のいる現在も何かと小室哲哉ネタを持ち出さずにいられない朋ちゃんを見て「もういい加減に過去のことは克服してくれ」と思うファンも多いだろうけれども、才能が大きすぎる人にありがちな己の才能に自分自身が押しつぶされてしまう業を彼女も背負ってしまっているのだろう。彼女を見るたびに「浪花千栄子(←「おちょやん」のモデルの人)みたく朋ちゃんも庭石に「小室哲哉」と書いて毎日それ踏んづければいいのに」「ジェリービーンを切ったマドンナみたく恋人たちをキャリアの踏み台と割り切れなかったのかな」とか思ってしまうのだけれど、当時も「小室さんがいないと私は歌えない」などと小室に喜んでもらいたい一心で歌を頑張ってただけで何が何でものし上がってやるみたいな野心とかは無縁だから周りも何とかしてあげたいと思ってしまうのだろうね。だって不安定なメンタルと不摂生からまるまる太ってしまい往年の姿は見る影のない今もいざ歌うと全盛期とほとんど変わらないんだよ。ホントもったいないじゃんね。先日10kg減らすダイエット宣言したようだけどぜひ達成して自信をつけてもらいたいものである。って絶賛増量中の私もまったく人の事言えないんだけどさ。

「Nevermind」Nirvana(1991)

世の中には「メジャー過ぎて今さら買うのが何となく恥ずかしく思えるアルバム」というものがあるが、私にとってはニルヴァーナの2nd「Nevermind」がそれに当てはまる。ニルヴァーナは1stの「Bleach」と3rdの「In Utero」はCDで持っているのに肝心の「Nevermind」だけはCDで持っていない。学生時代、CDを買いまくるほど無尽蔵にお小遣いを持っていなかった頃はレンタルCD屋や友人などからCDを借りて、それをカセットテープに落としたものを聴いたものだが、後に社会人になってCDで買い直した音源も多々あるにもかかわらず「Nevermind」とメタリカのいわゆるブラックアルバムは「今さら感」があり過ぎて店頭でCDを買うのがどうにも気恥ずかしかったのである。多分店員から「あー要するにミーハーちゃんね」という目で見られるのを極端に恐れていたのだろう。よくよく考えてみたら店員だっていちいちそんなことを考えてられないと思うのだけれど、若い頃の私はそれほどまでに自意識過剰だったのである。

よくバンドの宣伝文句として「音楽シーンを変えた」という形容があるが、本当の意味で音楽シーンを変えてしまったバンドというのは長いロックの歴史の中でもそんなにいない。その数少ないバンドがこのニルヴァーナである。言うまでもなく彼らは「グランジ」というジャンルの代表的なバンドであるが、ニルヴァーナの凄さというのは、彼らの登場以降それまでメインストリームにあった既存のHR/HMバンドを一気に時代遅れにさせてしまったところだ。グランジオルタナは米国ロックシーンの一大ブームとなり、往年のメタルの大御所と言われたバンド達が次々とオルタナグランジの様式にただ乗りしたような作品をリリースしてはファンを戸惑わせたものである。ニルヴァーナグランジが一部(どころか大半)のメタラーから親の敵のように嫌われても仕方がない。しかしグランジの影響を受けたのは本国アメリカだけでなくそれまでマンチェスターシューゲイザーだと賑やかだったUKロック界も同様で一時期はNMEやメロディーメイカーの表紙がこの系のUSバンドばかり(唯一盛り上がっていたUK組はスウェード)で「一体これはどこの国の音楽雑誌なんだ」と思ったほどだ。それぐらいの影響力を(図らずも)持ってしまった故にフロントマンであるカート・コバーンの抱えるプレッシャーは常人の想像を超える凄まじさであったに違いない。「Nevermind」の次のアルバム「In Utero」が前作と対照的にダークで内省的な作風となったのは当然の帰結であっただろう。

ネヴァーマインド(SHM-CD)

ネヴァーマインド(SHM-CD)

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いま改めて聴き返してもこの「Nevermind」は最初から最後まで一気に聴き通せる捨て曲一つとしてない異常なまでの完成度で感心してしまう。当時グランジを表現するのによく「殺伐系」という言葉が使われていたが、前作「Bleach」のダークな密室感とは対照的に殺伐さを残しつつ開放的かつ力強く骨太のサウンドに仕上がっているのが見事である。キャッチーでありながら一筋縄ではいかない独特のメロディーが、このアルバムを時代を超えた傑作としているのだと思う。実際上に書いたような革命的といえる一大ブームを引き起こしたわけだけれども、その後のカートおよびニルヴァーナの辿った道を思うと、「Nevermind」は呪われた、とまでは言わないが何やら「業」を抱えたアルバムと言わざるを得ない。もしも本作がこれほどまでに大成功しなかったら、ニルヴァーナがここまで時代のカリスマとして祭り上げられなければ、カートは過度のプレッシャーに苛まれることなく今も音楽活動を続けていたかもしれないと思うと時代の偶然というのは時として残酷なものになり得るのだと痛感する。リリース後30年経った現在では既に「流行り物」ではなく、かつダウンロードやストリーミングで音源が手に入るので店員の目を気にする必要がなくなったから、私もそろそろこのアルバムをきちんと買ってこれからも度々聴こうと思う。

「Tako Tsubo」L'Impératrice(2021)

私のフランスに対するイメージは実にとりとめがない。好きなバンドもダフトパンクだったりIAMだったりGojiraだったりジャンルもめちゃくちゃだ。それでも中学生の頃は「オリーブ」という雑誌に洗脳されて「私もリセエンヌ(→フランスの女子高生)っぽくなりたい」と憧れたものである。社会人になってからも「マリ・クレール・ジャポン」のパリ特集号みたいなのが出る度に買っていたから結構好きだったのだろうと思う。その割に日本の文化人たちが礼賛する「おフランス」的なものに抵抗を感じていたのも事実で、初めてのパリ旅行でユーロスターから入ったパリ北駅の殺伐とした景観に衝撃を受けつつも「実はこういうのがリアルなパリなんじゃないか」と大いに興味を持ったものである。その後フレンチ・ラップやヒップホップのCDを随分買ったものだけど、どれもUSラップの「イェー」の代わりに「ウェー」というのが面白かった。後に「ウェイ系」という言葉を目にして「フレンチ・ヒップホップを聴く人たちのことかな。そんなに日本でも流行ってるのかな?」と真面目に思ったものである。日本で根強い人気のフレンチポップにあまりハマらなかったのは、ボーカルが私が好みとする骨太パワフル系ボーカルとは対極にあることと、その辺のジャンルと親和性の高い「渋谷系ブーム」に何となく胡散臭いものを感じていたからかもしれない(←中心人物の某氏のいじめの件とは関係はないです念のため)。

Tako Tsubo

Tako Tsubo

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 L'Impératriceはパリ出身の6人組のポップバンドである。しかし歌詞がフランス語である以外はあんまり「フレンチ」っぽさはない。強いて言えばアメリカやイギリスのバンドがオシャレ要素として取り入れる「フレンチ」テイストであり、万人に聴きやすい反面「本場のフランスらしさ」を期待する人にとっては物足りないかもしれない。初期のEPや1stアルバムの「Matahari」のタイトル曲など70年代~90年代ディスコっぽい曲がいくつかあるため「ディスコバンド」という紹介をされることも多いが、この2ndアルバム「Tako Tsubo」はディスコの要素は殆どなくフレンチポップというよりは70年後半~80年代前半あたりのAORやシティポップのような、どこか懐かしさを感じさせる楽曲が揃っている。タイトル名は激しい感情的ストレスに起因する「たこつぼ心筋症(tako tsubo syndrome)」から来ているらしいが、アルバムジャケットの「帯」を連想させるデザインといい、どこか日本を意識しているような気がしてならない。実はこのアルバムを聴いて浮かぶ光景はパリではなく東京、しかもまだ人々が幸福と希望に満ちていた時代の(そして私が「リセエンヌになりたい」と妄想していた時代の)「80年代の東京」なのである。日頃は今住んでいる場所が大好きで「もう東京には帰らなくていいや」と思ってるぐらいなのだけどこのアルバムを聴くと「うわ東京でこれを聴きたい」と思ってしまうのは不思議な感じである。このバンドはボーカルのFlore Benguiguiが「紅一点」ということで何かとそのイメージで本人やバンドを語られることに「私はお飾りじゃない」と度々不快感を表していて、前回の記事で取り上げたThe Anchoressの2ndと共通するメッセージ(←男性優位の音楽業界における女性アーティストの居心地の悪さ)が感じられるのだけれど、「女帝」という意味のバンド名といいFloreのルックスの良さといいメディアがついついそういう扱いをしたくなるのも仕方がないだろうなぁと思ってしまう。他のメンバーはよくわからんヒゲのオッサンたちだしな。「あんたはそっちが好物でしょ」と言われれば否定しないんだけどさ。

「The Art Of Losing」The Anchoress(2021)

もう随分前から女性シンガーソングライターは特に珍しい存在ではないけれど、プロデューサーやレコーディングエンジニアとなると現在でも女性の比率は格段に低いようだ(全体の2%しかいないという話もある)。確かに私も女性の映画監督というのは割とよく聞くのだけれど女性の音楽プロデューサー、しかも自分以外のアーティストの作品まで手掛けるプロデューサーというのを寡聞にして殆ど知らない(The Isley Brothersシーナ・イーストンなどの作品を手掛けたAngela Winbushぐらいだろうか)。自身のアルバムのプロデュースで一番有名なのはやはりケイト・ブッシュだと思う。彼女の最初の単独セルフプロデュース作品である「The Dreaming」は当時としては異例の72トラックという多重録音とサンプリング技術を駆使した重厚で実験性に溢れた話題作(当時音楽メディアで「頭おかしい」とまで言われていた記憶がある)で、恐らく他のプロデューサーを招いていたら途中で喧嘩別れしたのではないかというぐらいの妥協知らずの完璧な世界観に圧倒されたものである。The Anchoressことキャサリン・アン・デイヴィスがケイト・ブッシュを尊敬するアーティストとして挙げているのも、ケイトが歌手や作曲家としてだけでなくプロデューサーとしても卓越した才能の持ち主だったからではないだろうか。そんなThe Anchoressの2ndアルバム「The Art Of Losing」はキャサリンによる完全セルフ・プロデュースである。元々この2ndアルバムはバーナード・バトラーと共同で制作する予定だったのが途中で方針が変わりキャサリン単独のプロデュースとなったことは以前の記事でもふれたが、その記事の中で私が懸念していた通りやはり彼女は前作「Confessions Of A Romance Novelist」に対する性差別的な評価に不満を抱いていた(「 I’d experienced that annoying misogynistic attitude towards the last record. 」と本国のインタビューで語っている)ようだ。前作はキャサリンと、Mansunで知られるポール・ドレイパーとの共同プロデュース(共作7曲)であるが、この作品への参加が当時ポールがMansun解散後長年の沈黙を経ての本格的始動ということもあり世間の注目が彼の方に向いてしまった結果まるでこの作品が「ポール・ドレイパーがプロデュースしたアルバム」のような印象を与えてしまったのはキャサリンにとっては不本意なことだったと思う。男性アーティストの作品でもある程度名の知れたプロデューサーが関わるとそっちの方が話題になったりするものだけれどもとりわけ女性アーティストの場合は何から何まで(男性)プロデューサーの功績にされる傾向がさらに強いようだ。本作終盤の「With The Boys」はそんな音楽業界における性差別的な現状がテーマである。

Art of Losing -Digi-

Art of Losing -Digi-

  • アーティスト:Anchoress
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: CD
 

 「The Art Of Losing」のテーマは「喪失」や「悲嘆」であり、より具体的には性暴力、性差別、流産、愛する者の死など現代社会に生きる女性の多くが経験しながら、当事者の殆どが公言することをためらうために身近な人にさえ理解されない苦悩の数々である。それらはキャサリン本人の個人的な経験(父の死、流産、子宮がんの罹患等々)がベースとなっているが、それらをまるで自分が悲劇のヒロインであるかのように大仰でドラマティックなサウンドで飾り立てるのでなく、あくまで「多くの女性が日常的に直面する困難」と普遍的なテーマに昇華しているところがこの作品の非凡な所である。特に「5AM」などは性暴力やDV、流産のリアルな描写の入ったかなりショッキングな内容であるにもかかわらず音の方はまるで子守歌や女性向け商品のCMのような牧歌的で優しいメロディーで歌われるのがかえって「このようなことは私たちにとっては日常ですよ」と(作られた)笑顔で言われているような恐ろしさがある。先述の「With The Boys」も曲自体はメランコリックで美しいバラードでいかにも「女性的」なのが何とも皮肉がきいている。タイトル曲の「The Art Of Losing」はアップテンポのキャッチーで力強ささえ感じさせる曲で全然「Losing」な調子ではない。このように悲しい内容の歌詞に対し敢えて意外性のあるサウンドをぶつけるというのが今作における彼女の「実験」や「冒険」であり、結果的に何度聞いても飽きないバリエーションに富んだ作品に仕上がっている。一方で「All Farewells Should Be Sudden」や「Paris」のような、前作を彷彿とさせる物憂げな雰囲気を帯びた曲もあり、前作が好きだった人なら引き続き今作も気に入ると思う。セルフ・プロデュースがアピールポイントの一つである本作であるが1曲だけポール・ドレイパーとの共作がありそれがまさにマニックスのジェームズとのデュエット曲「The Exchange」である。最初この曲をYouTubeで聴いたときに「何かこれFriends Make The Worst Enemies(←ポールの1stソロ「Spooky Action」収録曲)に似てないか?」と思ったものだがアルバムのクレジットを見てなるほどと納得である。しかしこの曲にポールの持ち味とは全く異なる、泥臭いまでの力強さとエモーションを与えているのがジェームズのいつもの朗々としたヴォーカルだ。この他ジェームズは「Show Your Face」にギターで参加しており、これまた聴いてすぐわかるジェームズ印のギターが印象的だ。

ジェームズの参加やキュアーやデペッシュモード等80年代NWに影響された音作りが注目されている本作だが通して聴くとKscope所属アーティストらしい一筋縄ではいかない屈折したメロディーと優美さとダークでメランコリックなサウンドを持ったアルバムで、言っては何だがスティーブン・ウィルソンの最新作などよりよっぽどモダンプログっぽい。イントロと終わりにピアノのインスト曲で間の収録曲をブックエンドのように挟むスタイルもコンセプトアルバム的だ。どちらかというとオルタナティブ系のアーティストとのコラボの多いThe Anchoressだが、以前の記事にも書いた通りオリジナルで奇妙で複雑で面白いものという点では「プログレッシブ」も「オルタナティブ」も本質的には全く変わらないというのは本作を聴いて改めて実感させられる。マニックスファンからKscope愛好者までジャンル関係なくできるだけ多くの人に聴いてほしいアルバムだ。

「Some Friendly」The Charlatans(1990)

シャーラタンズは英国ノースウィッチ出身の、マッドチェスター・ムーブメント全盛期に登場し、現在も根強い人気を持つUKロックバンドである。マッドチェスターというのはストーン・ローゼズハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツなどマンチェスターおよびその近郊出身の、サイケデリックサウンドと独特のグルーヴ感を持つロックバンドのブームであり、これらは80年代後半のUKロックシーンに漂っていた閉塞感をぶち破る新世代バンドとして熱狂的な人気を集めていた。当時は「マンチェスター出身」というだけでNMEやらメロディーメイカーなど英国の大手洋楽雑誌にも取り上げられる雨後のタケノコ状態でシャーラタンズもその一つだったのである。私がシャーラタンズを知ったのは大学生の時、洋楽に詳しい同級生から「これ聴いてみて。渋谷(陽一)の番組で『インスパイラル・ローゼズ』って言われてたよ(笑)」とその番組でかかっていた「Then」という曲の録音をウォークマンで聴かせてくれたのが始まりだったのだけど、本当にインスパイラル・ローゼズであった。つまり、インスパイラル・カーペッツのオルガンにイアン・ブラウンの声がのっかっているような曲であった。当時日本の評論家筋におけるシャーラタンズの評価というのは、お世辞にも大絶賛というのではなかった記憶がある。渋谷陽一には番組の中でNew Fast Automatic Daffodilsと比較されて「シャーラタンズなんかよりこっちのほうが全然いいですよ」などと言われるし、児島由紀子女史などは当時彼女がお気に入りだったライドの曲と同名の曲がシャーラタンズにもある(もちろん中身は別物)というだけで「こんなもののどこがいいんですか」とシャーラタンズをけちょんけちょんにケナしたのである。これには私も「デビューしたての新人をそこまでケナすことないじゃんか」とイラっと来たものだ。それだけに彼らのデビューアルバムである本作「Some Friendly」が全英チャート初登場1位を獲得した時は内心ざまあみろとすら思ったものである。

Some Friendly (Reis)

Some Friendly (Reis)

  • アーティスト:Charlatans
  • 発売日: 2007/05/29
  • メディア: CD
 

 本作はマッドチェスター・ブームの産物というべきアルバムだが、内容は非常に濃い。おそらくのこの時期にデビューしたバンドのアルバムの中では頭一つ抜きんでる出来なんじゃないかと思う。シングル曲「The Only One I Know」「Then」は勿論、アルバムの冒頭を飾る「You're Not Very Well」、アシッドなインスト曲「109 pt2」やダンサブルな「Polar Bear」(ライドと同名異曲というのがこれ)現在でもライブのラストに演奏されることの多いアルバム最後の曲「Sproston Green」など、キャッチーでポップな曲がそろっている。当時シャーラタンズというとロブ・コリンズのキーボード(ハモンド・オルガン)に話題が集中していたが、やはりキーボード中心バンドであったインスパイラル・カーペッツよりシャーラタンズのほうがリズム隊がタイトで全体的に演奏力が高いと感じる。デビュー当時はボーカルのティム・バージェスのルックスとキャラクターでアイドル的な扱われかたもされていたバンドだけれど、マッドチェスターの終焉で行方不明になることなく英国ロックの次の一大ブームであるブリットポップ期においても「Tellin' Stories」という名盤を送りだせたのは、彼らの時代を読むセンスと手堅い演奏力のおかげなのだろう。そもそもベースのマーティン・ブラントは80年代にMakin' Timeというモッズのバンドをやっていたから、オアシスやブラーなど当時モッズ好きを公言していたブリットポップのバンドよりもずっと前から「モッズ」だったのである。そのブリットポップ期からシャーラタンズを聴くようになったファンにとっては「Some Friendly」は少々キーボードがうるさく感じられるかもしれないけれど、サイケデリックサウンドとグルーヴ感といったマッドチェスター特有のスタイルを持ちつつもキャッチーで印象的なメロディーを持った曲が多く「Tellin' Stories」と並ぶ彼らの代表作だと思う。これからシャーラタンズを聴いてみたいけど何から聴けばいいか迷っている人にも自信を持って勧められるアルバムだ。

しかし最近のティムの金髪マッシュルームカットは似合わないと思うんだよね。何だかバードランドみたいじゃん。誰だよバードランドってと思った方は今後の記事に期待していてください。

「Move To This」Cathy Dennis(1990)

キャシー・デニスといえばカイリー・ミノーグの「Can't Get You Out of My Head」やブリトニー・スピアーズの「Toxic」、ケイティ・ペリーの「I Kissed a Girl」など数々のヒット曲のソングライターとして知られ、今や本国イギリスではアイヴァー・ノヴェロ賞(英国の優れた作曲家やソングライターのための賞)を6回も受賞している大御所ソングライターなのだけれど、元々は英スマッシュ・ヒッツ誌のようなアイドル雑誌にも取り上げられたポップシンガーだったのである。私もキャシー・デニスはアイドル歌手のイメージが強かったから、後に自分で歌うより他の歌手に歌を提供するようなソングライターになるとは思わなかった。同じくアイドルとして出発し、後にソングライターとしても大活躍するゲイリー・バーロウなどは現在もテイク・ザットとして表に出ているけれども、キャシーの場合自身のアルバムを3枚出したものの、2000年以降はソングライターに専念してしまったので彼女のポップス歌手時代を知る者は寂しく思ったり「もったいないな~」と思ったのではないだろうか。何で「もったいない」のかというと90年初頭当時イギリスで人気だった女性歌手の中でキャシーが一番美人だったからなのである(←我ながら身も蓋もない言い方だな)。現在もポップス歌手として活躍中のカイリーやソフィー・エリス=ベクスターと比べても端正な顔立ちで「何でこんな美人が裏方に回っちゃったのかな~」と残念に思ったものである。数年前ぐらいの英ガーディアン紙のレビューによると「パフォーマーとして活躍するには彼女は地に足がつき過ぎていた」ということだが、確かに歌手時代だった頃のスマッシュ・ヒッツの記事を見ても知的で感じの良いお嬢さん風ではあったものの、芸能界を生き抜くにはいい意味での下世話さやしたたかさが欠けているように感じられたのは否定できない。同時期のカイリーが健康的なアイドル歌手からセクシー路線への大胆なイメージチェンジで各メディアからひどく叩かれていたからなおさらだ。その後カイリーは見事にセクシーと洗練と可愛いを奇跡的に融合させたポップ・アイコンとして復活を果たすのだけれどこれはカイリーの非凡なる自己プロデュース能力の賜物であって誰もができることではない。しかしそのカイリーを再びポップスの第一線に完全復帰させるきっかけとなったのがキャシーが書いた「Can't Get You Out of My Head」なのだから、結局はキャシーにとってソングライターへの転身は大成功だったのだろう。

Move To This by Cathy Dennis (1990-05-03)

Move To This by Cathy Dennis (1990-05-03)

  • アーティスト:Cathy Dennis
  • 発売日: 1990/05/03
  • メディア: CD
 

 「Move To This」はキャシー・デニスのデビューアルバムで、全英チャート3位まで上がったヒット作である。「C'mon and Get My Love」「Just Another Dream」「Touch Me(All Night Long)」「Too Many Walls」などの数々のヒット曲を擁する彼女の代表作で、後にこのアルバムを全曲リミックスしたアルバムもリリースされている。当時流行っていたハウス・ミュージックの影響の強い作品で、彼女を最初にポップス界に送り込んだD MobことDancin' Danny D始めマドンナとの共作やリミックスで名高いシェップ・ペティボーンやナイル・ロジャースまでが制作に参加してることもあって最初からイギリス本国にとどまらず米国ポップス市場をも意識した作りになっている(実際「Touch Me(All Night Long)」は米ビルボード100で2位を記録)。キュートでパンチの利いたキャシーのボーカルも溌溂さに溢れていてこのアルバムに若々しい躍動感を与えており、今でも繰り返し聴きたくなる作品だ。しかしデビューがこのように当時流行の音楽スタイルが前面に現れた作品であるとそのブームが下火になった時に路線変更を余儀なくされたり苦戦しやすいのも事実で、彼女も後に初期のようなハウスミュージックからの路線変更を試みたものの、セールス的にはこの1stアルバムを超えることはできなかった。歌唱力に問題があったわけでは決してないものの、同時期に活躍していたリサ・スタンスフィールドのように歌唱力を積極的に売りにするタイプでもなかったから、勢いで盛り上がれるハウスビートから離れるとどこか没個性的な感じになってしまうのかもしれない。それでも「Too Many Walls」や「My Beating Heart」のようなしっとり聞かせるバラードもあり、後のソングライター時代の作品群につながる明るさの中に一抹の哀愁と切なさを内包したメロディーが印象的である。歌手としては活動期間が短かったこともあり本国ではソングライターとしての評価に比べ過小評価されているようだけれども、本作が90年代初頭の英国ポップス界において鮮烈な存在感を放ったアルバムであることは間違いない。

「Dreamtime」The Cult(1984)

80年代半ばの英国ロック界において、現在ではほとんど死語となっている「ポジティブパンク」というジャンルがあった。今はこの辺のバンドは「ゴシックロック」と言われているけれど、当時から「ゴシックロック」と言われていたバウハウスやシスターズ・オブ・マーシーよりも少し下の世代のバンドを指した用語である。「パンクとポジティブって矛盾してない?」と思ってしまうのだけど、83年にNME誌が当時勢いのあった新人たちをまとめて「ポジティブパンク」と呼んでいただけで別に音楽性に共通点があったわけでもなんでもなかったのでこの徒花的なジャンルはすぐに衰退してしまった。しかし彼らの多くが持っていた耽美・幻想・退廃的世界観(←どこがポジティブだ)は当時の日本のインディーシーンにも多大な影響を与え、現在の日本のヴィジュアル系バンドに受け継がれているのではないかと思う。前にポール・ウェラーの長男のナットが日本のヴィジュアル系の大ファンという話を聞いて「自分の国に元祖みたいなのがあるじゃん」と思ったものだけれど、まあナットの生まれる前の話だし仕方がない。

そのポジティブパンクから出発して後にメインストリームのハードロックバンドとして大成功を収めるのがこのザ・カルトなのだけど、カルトの音楽を特徴づけているのは何といってもイアン・アストベリーのヴォーカルである。デビュー当時からサザン・デス・カルトが他のポジパンのバンドと一線を画していたのはこのイアンのコブシを効かせまくったダイナミックなヴォーカルといっても過言ではない。基本的にはあーこりゃツェッペリンオタだなと丸わかりな歌唱法なのだが後にはザ・ドアーズの再結成ライブでジム・モリソンのそっくりさんをやってしまうのだからずいぶんと器用なものである。こういう、歌唱力に定評があり自身も歌唱力に自信のあるヴォーカリストはさほど演奏技巧を要しないパンクやオルタナティブロックよりもハードロックやメタルみたいなものをやりたがる人が多いのだけどデビュー時の音楽性でファンになった人にとってはその後のバンドの「ジャンル違い」レベルの音楽性の変化についていけず「昔のほうがよかった~」と愚痴りたくなるのも気持ちとしてよくわかる。80年代半ばはHR/HMLAメタルなどで一大ブームだったしカルトの音楽的変化も当時の流行りに乗っかった感もあったかもしれない。

Dreamtime

Dreamtime

  • アーティスト:Cult
  • 発売日: 2007/05/21
  • メディア: CD
 

 そんなカルトのデビュー作がこの「Dreamtime」である。リリース当時は「夢を見るだけ」といういかにもポジティヴパンクな邦題が付いていた。メンバーのルックスもヒラヒラの衣装&カラフルな髪の色&お化粧バリバリで今となっては黒歴史である。でもその宣材写真とアルバムジャケット(上のデザインと若干違っている)に妙に惹かれるものがあり当時中学生だったわたしは広告を前に数日迷った挙句全く音も聞かないでこのアルバム(まだLPだった)を買ってしまったのだがこれが意外に大当りで感動したものである。キャッチーなメロディーのストレートでダイナミックなロックで、いかにも「ポジティヴ」な感じだったので他のポジティヴパンクバンドもこんな感じかと期待してダンス・ソサエティジーン・ラヴズ・ジザベル、エイリアン・セックス・フィーンドのアルバムを買いまくったがそれぞれ音楽性が全く違いすぎてそれもまた面喰らったのだった。カルトのデビュー作「Dreamtime」は今聴くとイアンのヴォーカルに対しまだビリー・ダフィーのギター演奏力がついていけてなくてパンクバンドが一生懸命ハードロックやってます的必死感にあふれているものの、プロデュース陣の骨太かつ厚みのある音づくりが当時の彼らの演奏能力の未熟さをうまくカモフラージュしている。その後彼らが向かっていった音楽性があまりにもクラシックなロックンロールすぎてデス・カルト〜「Dreamtime」の頃のUKネオサイケっぽいのが好きだった私は「え~そっちに行っちゃうの~?」とついていけなかったのだけど、今になって例えば「Wild Hearted Son」みたいな後期の曲を聴くとやっぱりカッコイイと思ってしまうし「Sonic Temple」は文句なしにハードロックの名盤だ。これは全く余談だけど、マニック・ストリート・プリーチャーズのデビュー作「Generation Terrorists」のプロデューサーにスティーヴ・ブラウンが起用されたのは当時パンクからハードロックへその音楽性を変えようとしていたマニックスにとってかつてカルトがポジティブ・パンクからメインストリームなロックへの転身を図るきっかけになった大ヒット曲「She Sells Sanctuary」のプロデューサーを起用することが彼らの理想にかなっていたことは容易に想像できると思う。何といってもカルトはアメリカツアーの際にはブレイク寸前のガンズ&ローゼズを前座にしていたこともあったからガンズ大好きを公言していた当時のマニックスにしてみれば超うらやましかったんじゃないかな。「そのうち後出しジャンケン大好きなニッキーが「実は昔からカルト好きだったんだよね」とか言い出すんじゃないか」と思っていたけれど数年前に本当に学生の頃の思い出の曲に「She Sells Sanctuary」を挙げてて笑ってしまった。こういうのは初期のマニックス時代にはなかなか言えなかったことだよね。