sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Matriarch」Veil of Maya(2015)

昔からよくあることなのだがメンバー(主にヴォーカリスト)交代で音楽性がそれまでとガラリと変わってしまうことがある。古い例ではレインボー(ロニー・ジェイムス・ディオグラハム・ボネット→ジョー・リン・ターナー)やウルトラヴォックス(ジョン・フォックスミッジ・ユーロ)などが有名だと思う(まあメンバーが全然交代しないのにどんどん音楽性が変わってしまうU2みたいなのもいるけどな)。特にメタル界隈においてその傾向が顕著なのは、バンドの「顔」がポストパンク/オルタナティブ系の場合「歌詞を書く人(主にヴォーカリスト)」であることが多いのに対しメタルバンドでは「曲を書く人(主にギタリスト)」であることが多いからヴォーカルが交代してもバンドのアイデンティティーが崩壊しないからなんだろう。しかし入ってくるのが前任と全く異質な個性を持つヴォーカリストだったりするとやはり古参ファンからは心ないバッシングを受けたりするから気の毒なことだ。
米国シカゴ出身のVeil of Mayaはdjent/デスコアバンドとして知られるバンドである。これまでに取り上げたdjent系のバンドと違いこのバンドは長年デスヴォイスオンリーで通してきてそれがファンから支持される要因であったらしい。このデス声信仰というのは一部のメタラーの間で結構根強いようでクリーンヴォーカルの曲のYouTubeのコメントを見ると決まって「何このゲイっぽい声」と書いてくる奴が現れる。メタル万年初心者の私などは「デス声なんて誰がやっても同じじゃん、クリーンのほうが歌い手の個性がわかりやすいし面白いよ」と思ってしまうのだがきっとデス声支持者の間では「クリーン=軟弱=メタル失格」みたいなイメージみたいなのがあるんだろう。昔「短髪はメタラー失格」みたいな風潮があったがそれと似たようなものだろうか。現在のBFMVのマットの短髪も随分文句言われてるようだけどあれはメタラーとしてのポリシーというより「長髪の時ほどイケメンに見えない」というのが主な理由なんじゃないかな。

Matriarch

Matriarch

 

 「Matriarch」はVoMの通算5枚目のアルバムである。新ヴォーカリストのLukas Magyarを迎えクリーンヴォーカルを取り入れた初めてのアルバムということでこのバンドの長年のファンの間では激しい賛否両論が巻き起こっているらしい。私はクリーンがあったほうがいい派なのでこの方向転換は歓迎だが問題はこのクリーンパートがペリフェリーのスペンサー・ソーテロにそっくりなんである。実際スペンサーがこのアルバムのヴォーカルアレンジに協力しているのらしいが「本当はアンタが歌ってるんじゃないの?」ぐらいの似方である。収録曲も「これ「Periphery II」に似たような曲なかった?」みたいなのが複数ある。元々ペリフェリーとは同じレーベルメイトであるし、一緒に欧州&英国ツアーもするらしいし、そもそもVoMの前作もミーシャがプロデュースにかかわっていたからペリフェリーの影響は元々強かったんだろうがここまでヴォーカルや作風がそっくりだと「ペリの劣化コピーじゃん」と文句を言いたくなる人が出てきても何の不思議もない。
でも実際は全然「劣化コピー」じゃないんである。最近のペリフェリーの作風を微妙に感じている人にはむしろこっちのほうがいいと感じている人も結構いるようだ。何しろ曲の構成がどれもカチっとしていて無駄がない。あとLukasのクリーンヴォーカルがイケメンチックなのがいい。この系のバンドにおいて「声がイケメンかどうか」というのは重要だと思う。もちろんdjent特有のザクザク感やプログレ的な複雑な曲展開も魅力的で何度も繰り返し聴いてしまう。
コンセプトも興味深い。「Matriarch」(女族長、家母長制)というタイトル、東洋風の装束の女性をフィーチュアとしたエキゾチックなジャケット、曲の大半を女性の名前(←複数のゲームキャラが出典らしい)で占められているところを見ても母性とか女性的なパワーみたいなのがモチーフになってるのかなと想像される。大体バンド名も偶然とはいえ「マヤ」という日本女性っぽい名前が入ってるし(←本当はCynicの曲名からとったらしいけど)、東洋的なものや女性的なものに対する「縁」みたいなのは前々から感じていていたんじゃないだろうか。それが象徴的に現れているのがタイトル曲「Matriarch」の東洋風の神秘的なインストだと思う(ついでにジャケットの女性のモデルも「マヤ」という名前だったら面白かったんだが実際は鈴木なつみさんという在米のプロダンサーだそう)。今回クリーンヴォーカルを導入したことと合わせ、それまでの攻撃性を維持しつつより洗練された音作りはとても好感が持てる。
ひとつ物足りない面があるとすれば今時のバンドの作品としては37分弱と非常に短いところだと思う。1曲1曲が4分以内に収まっているのでメリハリがあって退屈はしないんだが気がつくと最後の1曲だったりする。しかし下手にボーナストラックをつけると全体のバランスが崩れて却って冗長な印象になるから難しいところだ。
どの曲もキャッチーな作風でとっつきやすいが収録曲の中ではやはり「Mikasa」が突出している。メタルコア系のバンドにありがちな、デス声で散々煽った挙句唐突にクリーンで歌われるサビの部分を聴く度に「キメキメポーズ」「見得切り場面」「ドヤ顔」というイメージが想起されるのだけどこの曲の場合そのドヤり具合が気持ちいいまでにカッコいい。ジャケットモデルの鈴木嬢が1人2役で出演するPVも幻想的で美しい。

「Guiding Lights」Skyharbor(2014)

従来、米英ロックの世界において「インド」というと大体2種類のイメージがあった。1つはクーラ・シェイカーやインディアン・バイブス等「伝統的なインド音楽に影響されたサイケデリックなロック」である。もう1つはコーナーショップやタルヴィン・シンなどに代表されるインド系英国人ミュージシャンたちである。ちなみに80年代初頭に活躍したシーラ・チャンドラはこの両方である(最近英国で人気があるらしい「ボンベイ・バイシクル・クラブ」もその類かと思っていたが全然違っていた)。
Skyharborはそのどちらにも属していない。インド本国のニューデリーを拠点とするdjent/プログレッシブ・メタルバンドである。大体djentというジャンルというか演奏様式自体がインターネットのコミュニティーから発生したものなので他のジャンルに比べて地域性は希薄なのだが、彼らの曲から「インドっぽさ」を嗅ぎ取ることは正直難しいと思う。じゃあ一体どこ風なんだと言われても困るが、そんな無国籍な佇まいがどこか彼らの持つ浮遊感あふれる音楽性とマッチして、何ともつかみどころのない神秘的な雰囲気すら覚えるものだ。彼らはコーナーショップの連中とは違ってインドで育ったインド人なので、ことさら自分たちのルーツを主張する必要性を感じないんだろう(ヴォーカリストが英語で歌う米英人というのも関係がありそうだが)。しかしインドという国自体巨大な国だしそのうちインドのバンド達も米国における「シアトル系」「LAメタル」「シカゴ音響派」とか英国における「マッドチェスター」「ブリストル系」「スコティッシュポップ」のような地域性の差異を主張してくる可能性は大いにありそうだ。何と言っても特許庁が4つもある国だからな。ムンバイとコルカタとデリーとチェンナイじゃさぞかし住民の気質も音楽性も違うんだろう。 

Guiding Lights

Guiding Lights

 

 「Guiding Lights」はSkyharborの2枚目のアルバムである。前作「Blinding White Noise:Illusion & Chaos」も既に類型的な「djent」の枠を超えた独自性を発揮しまくっていたが本作では最早「メタル」の枠も超えてしまっている。私が初めてSkyharborを聴いたときの第一印象は「Oceansizeに似てるなあ…」というものだった。後にギターのKeshav Dharが「人生を変えた5枚のアルバム」の1つにOceansizeの「Effloresce」を挙げていたのを見てやはりと納得したものである。Oceansizeはプログレやメタルの影響も受けつつも、基本的にはオルタナティブ・ロックのカテゴリーで語られるバンドであったし、しかも本国でも決してメジャーに売れていたバンドではなかったから、「Keshavは一体どこでOceansizeを知ったんだろう?」と気になって仕方がない。普段メタルを中心に聴いている人が本作においてピンとこない部分があるとしたら、それは多分Skyharborの音楽が内包する「非メタル」の部分なんだろう。ラウドでノイジーなのに浮遊感があって茫洋としたスケールを感じさせるギターというのは前作と共通だが本作はdjentをベースにしつつも曲によってはシューゲイザー/ドリームポップ的な要素もあればアンビエントな要素もあり、さらにはクラブ系音楽のニュアンスも聴きとることができる。「一体どこに連れて行かれるんだろう…」という不安と期待を同時に抱かせる複雑で予測不可能な展開に、まるで聴いている間は魔法にかかったような不思議な感覚に襲われること請け合いである。私が現TesseracTのダン・トンプキンスを知ったのも実はSkyharbor時代のが先なのだが、ここで聴かれるヴォーカルスタイルはTesseracTの「One」の時とは全然違ってより優しく甘美で妖艶ですらある。本作の幻想的で叙情的な音世界は彼の変幻自在の表現力豊かなヴォーカルによっているところが大きかっただけにSkyharbor脱退は残念だ(新ヴォーカリストのEric Emeryも実力は申し分ないので今後の活躍に期待したい)。
既に日本のdjent好きには高い評価を受けているSkyharborだが、本作は普段メタルを全く聴かないという人にもぜひ聴いてもらいたいアルバムである。上述のOceansizeのファンはもちろん、例えば「Six」以降のMansunが好きだった人にも勧められると思う。しかしいかんせん日本盤が出ないことには認知度が上がらないのも事実。1stにゲスト参加したマーティ・フリードマンがラジオやTVで宣伝してくれれば日本盤を出してくれるかなぁ~。

「Nowhere」Ride(1990)

個人的には90年代英国モノは94~96年あたりのブリットポップよりもその前の、マッドチェスターやシューゲイザー全盛期の89年~91年あたりのほうが思い入れがある。この時期はその他にもハウスやアシッド・ジャズ、グラウンド・ビート等クラブ系の音楽も充実していて、当時学生だった私は毎日のように輸入CD店に立ち寄っては面白そうなアーティストを物色したものである。あの頃は日本の洋楽誌もこれら英国新世代音楽シーンをきちんとフォローしていてまだフルアルバムを1枚も出してないような駆け出しのペーペーみたいなバンドたちにも熱心に取材をしてくれていたし、1stフルアルバムが出る前に本国でリリースされた数枚のEPをまとめて日本編集盤という形でリリースもされていた。今から思えば夢のような話である。
英国オックスフォード出身であるライドはラッシュ(Lushのほう)、チャプターハウス、スローダイヴと並ぶ90年代シューゲイザーの代表格といえるバンドである(その元祖がジーザズ&メリー・チェインとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインであることは裏雑記で触れた)。これらのバンドに共通する甘くノスタルジックなメロディーと音の洪水のようなラウドでノイジーなギターにナイーヴでか細いヴォーカルという組み合わせがもたらす、ドリーミーでどこか非現実的な浮遊感はとても魅力的だった。他のジャンルのミュージシャンへの影響力も強く、後に独自の音楽性を確立するブラーやスマッシング・パンプキンズもその初期はシューゲイザーの影響丸出しだった。このブームはその後のグランジブリットポップの台頭によりいったん下火になったが現在は「ニューゲイザー」なるシューゲイザー新世代バンドが続々登場している。意地悪な言い方をすればプログレやメタル等他のジャンルに比べて特に卓越した演奏能力がなくてもエフェクターをバリバリ効かせればそれなりにカッコよく聴かせることができるのでバンドを組む側としてはとっつきやすいんだろう。

Nowhere

Nowhere

 

 「Nowhere」はライドの1stアルバムである。実はこのアルバムが出るずっと前から「Ride EP」「Play EP」「Fall EP」という3枚のEPが各音楽誌で絶賛され既に多数のファンを獲得していた。この3枚目の「Fall EP」の4曲は全て「Nowhere」に収録されているのでいわば「Nowhere」の先行シングルみたいな位置づけのEPと考えていいと思う。最初の2枚(「Ride EP」「Play EP」)は爽快感あふれるストレートなギターポップという風情だったのが「Fall EP」でよりサイケデリックで複雑な世界観を醸し出すようになり、それが全面的にフィーチュアされたのが「Nowhere」である。冒頭の「Seagull」からサイケデリックでノイジーな轟音ギターが渦巻く長い長いイントロに圧倒される。この曲に限らず6分前後の収録曲が多いが、基本的にどの収録曲も似たような世界観で統一されているのでまるでアルバム1枚まるまる1曲みたいな印象を受ける。およそ「シューゲイザー」と聞いてイメージするものの全てがこのアルバムに凝縮されていると言っていいと思うし、「シューゲイザーを聴くための最初の1枚」としてはあのマイブラの「Loveless」より薦められると思う。
ただし一回聴けば明らかだがこのアルバムはビートルズの影響がとても強い。特に「Seagull」のベースラインはまんま「Taxman」のパクリといっていいと思う。実際初来日のアンコールでも「Tomorrow Never Knows」を披露したぐらいだからフツーにファンなんじゃないだろうか。ビートルズが嫌いだとちょっと受け付けないところもあるアルバムかもしれない。

【この1曲】Journey「Separate Ways(Worlds Apart)」(「Frontiers」(1983))

「Separate Ways」は言わずと知れたジャーニーの代表曲である。WBCのシーズンになるとしょっちゅう番組の中でかかるのでジャーニーを知らない人でもこの曲だけは絶対聴き覚えがあると思う。しかし何でWBCに失恋がテーマの「Separate Ways」なんだろうね?「Don't Stop Believin'」のほうが曲調も歌詞も明るいしスポーツ番組に合ってそうな気がするんだが、冒頭がしっとりと始まる「Don't Stop Believin'」よりアップテンポでギターが大活躍する「Separate Ways」のほうが気持ちがノリノリになれるからなんだろう。この時代のヒット曲はやたらと音が分厚かった。この曲も重厚で力強く聴いているほうも力が湧いてくるような曲である。今から聴くとシンセサイザーがいかにも80年代的だが、キャッチーなメロディーに伸びやかなヴォーカルは普遍的な魅力を持っていて、現在でも主にHM/HR系のミュージシャンたちによるカヴァーが多いのも納得である。

しかしこの曲の真骨頂は実はPVである。何と言っても最強にダサい。今でも「ダサい洋楽PV」と言われて真っ先に上がってしまうようなダサさである。冒頭からエアギターにエアキーボードだったりスティーヴ・ペリーの意味のない連続ドアップがあったり他のメンバー4人が一列に並んでこっちを向いて一斉に口パクしたり、とにかくメンバーが大真面目な顔してキメキメのポーズを繰り出すたびに笑いが止まらなくなってしまう。しかしこのおかしさは言葉だけでは到底表現できないので下の動画を見てほしい。


Journey - Separate Ways (Worlds Apart) - YouTube

向こうでもこのPVが色々ツッコミがいのある内容であることは広く認識されているようで、曲だけでなくPVの内容までそっくりまねっこした動画が何バージョンか存在する(興味ある方はYouTubeで「Separate Ways Remake」等で検索)。しかしこれだけ色んな人が真似したくなるような際立った個性を持ったPV(←我ながら随分美化した表現だな)は80年代ならではであり、90年代以降のバンドは「何かPVで一生懸命頑張っちゃうのって80年代っぽくてダサいしー」と作りも適当なのが面白くない。80年代は全てが過剰で大仰でゴテゴテでダサいのかもしれないが、今の時代が失ってしまった明るさとポジティヴィティーに溢れていて、それがリアルタイムで80年代を経験していない世代の若手ミュージシャン達をも惹きつけるのだろう。下はアスキンことAsking Alexandriaという現在とても人気のメタルコアバンドによるカヴァーである。彼らの年齢を考えるとこの曲は決してリアルタイムではないと思うのだが、変なひねりや茶化しのないストレートで堂々としたカヴァーで非常に好感が持てる。


Asking Alexandria - Separate Ways (Journey cover ...

 でもこの曲はやっぱりあのダサいPVがあってこそなんだよね。曲は最高にカッコイイのにPVは最凶にダサいというギャップが「Separate Ways」の一番の魅力というか多くの人から愛されている(?)点だから。イケメンバンドのイメージのアスキンにそこまでできるかな?あ、でもこの時のヴォーカリストって今脱退しちゃってるんだよね…

「Angel Dust」Faith No More(1992)

90年代初頭のアメリカのオルタナ/グランジ/ミクスチャーバンドの台頭は今から考えると凄まじい充実ぶりで当時のメディアは全部くまなくフォローするのは大変だったと思う。しかし私の記憶では日本でこの系のバンドを熱心にフォローしていた雑誌は「クロスビート」ぐらいでロッキングオンは同時期にイギリスでブームになっていたマッドチェスターやシューゲイザーバンドのほうに夢中だったしBurrn!は「こんなのメタルじゃない」と無視だった。一過性のブームぐらいに思って敢えて手を出さなかったのかもしれない。私も当時イギリスの新人バンドのほうを熱心に追っていたからこの辺のアメリカのオルタナ/グランジ/ミクスチャーバンドについては体系的な知識を持っていない。フェイス・ノー・モアともどうやって出会ったのかすらもう覚えていない。
フェイス・ノー・モアはレッチリことレッド・ホット・チリ・ペッパーズと並ぶミクスチャーロックの代表的なバンドである。基本的にはハードロックなのだがファンクの影響が大きいためにベースが大活躍するのがこのジャンルのいいところである。世間的にはレッチリのほうがメジャー人気があったようだが私は最初からフェイス・ノー・モア派であった。単にヴォーカリストの顔がアンソニーよりマイク・パットンのほうが好みだったから(笑)というのもあるがそれ以前にやたら裸の露出の多いレッチリの体育会系ノリが暑苦しくて受け入れられなかったというのもある。「マイク・パットンのステージパフォーマンスのほうがよっぽど変態でしょうが」というツッコミが入るかも知れんが私はそのパフォーマンスを実際見たことがないのでわかりませんとしか言いようがない。むしろマイク・パットンの変態さはその異常な多さのサイドプロジェクトに現れているんじゃないだろうか。フェイス・ノー・モアの他にMr.Bangleが有名だがWikipediaによれば他にもFantomas、Tomahawk、Lovage、Peeping Tom、Mondo Cane、Crudoなどとある。正直マイク・パットンの作品を全て揃えている人がいたらそれは相当のパットンマニアじゃないだろうか。マイク・パットンの凄さは業界屈指と言われる音域の広さもなのだがそれ以上に「1人何役やってるんですか?」という多才な表現力だろう。ただ金切り声で叫んでるのから地を這うように朗々と歌われる渋い低音ヴォーカルまで何でもありである。

 

Angel Dust by FAITH NO MORE (1992-06-16) 【並行輸入品】

Angel Dust by FAITH NO MORE (1992-06-16) 【並行輸入品】

 

 「Angel Dust」はフェイス・ノー・モアの通算4作目のアルバムで、一般的には彼らの最高傑作と言われているものである。大ヒット曲「Epic」が収録されている前作「The Real Thing」は当時マイク・パットンがハタチの学生だったということもあり歌もひたすら若い!可愛い!という感じなのだがこの「Angel Dust」ではパットンのマルチタレントぶりが本格的に開花しそのヴォーカルスタイルの変幻自在ぶりが存分に発揮されている。「Epic」のような突出したキラーチューンがない代わりにどの収録曲も異常な完成度の高さである。「The Real Thing」はファンクやラップをそのまま取り入れちゃいましたみたいな曲が多かったのだが「Angel Dust」ではそういった様々なジャンルの要素が上手く融合されてフェイス・ノー・モア独自のサウンドに昇華されている。1つ1つの楽曲が恐ろしいほどのエネルギーと集中力と緊迫感とスケールの大きさでもって聴く者を圧倒するのである。今聴いても20年以上前の作品とは思えないしダークで複雑怪奇な展開は今時のプログレッシブ・メタルに通じるものがある。本作があまりに圧倒的な内容だったせいか、次作「King for a Day... Fool for a Lifetime」以降で失速し1998年に解散してしまうのだが、今から思えば当時フェイス・ノー・モア名義でやるべきことはすべてやり尽くした感じだったんだろう。つい先日再結成して来日したり新作「Sol Invictus」をリリースしたと思ったらマイク・パットンがまたNevermenなる別プロジェクトを始めちゃってるしな。どんだけ落ち着かないんだよこの人。

「Spice」Spice Girls(1996)

スパイス・ガールズはイギリスに限らず世界的にもガールズグループとして最も成功したグループである。全盛期の彼女たちの人気というのはそりゃすごかった。何といってもその辺で売ってるポテトチップスのパッケージにまでなっていたんである。しかも各メンバーごとなので5種類の味があったわけだ(1997年冬にロンドン旅行に行ったときにこれらを食べ比べしたことがある。メラニーCのが一番おいしかったような)。彼女たちがいかに音楽ファンだけでなく一般の人たちの間でお茶の間レベルで親しまれていたアイドルだったということをこの件ひとつとっても充分体感できた。
もちろんそれ以前からアイドル的な人気を持つガールズグループというのはイギリスには存在していた(ノーランズバナナラマ等)が、最初から各メンバーにそれぞれ明確なキャラを与えてニックネームで呼ばれるようにしたのは男女グループ合わせてもスパイス・ガールズが初めてじゃないだろうか(SMAPも各メンバーのキャラが明らかだが意図的なものかは不明)。例えば金髪ロリ顔のエマは「ベイビー・スパイス」、赤毛の姐御ジェリは「ジンジャー・スパイス」といった具合だ。キャラがバラバラなので当然ステージでの服装も統一感がないのだが、その辺も自然体で親しみを覚えるものだったと思う。しかも日本のアイドルと同じように「どのメンバー推しか」で盛り上がることもできた。ちなみに私は最初から「ポッシュ・スパイス」たるヴィクトリア推しだったが正直言って当時の彼女は愛想もない(そういうキャラ設定なのでしょうがないんだが)し曲の中でもリードを取る場面がほとんどなかったんで実に地味な存在だったと思う。後にデヴィッド・ベッカムが彼女に猛アタックしたと聞いて「さすがベッカム様お目が高い」と思ったがそのせいで日韓W杯の時期には巷のベッカムファンから「あんな女のどこがいいの~」と散々ヴィクトリアの悪口を聞かされる羽目になって閉口した。スパイス・ガールズは日本にはプロモ来日だけしてコンサートは行っていなかったので当時の人気はオアシスやブラーほどではなく現在も「ベッカムの奥さんのいたグループ」という認識の人のほうが多いんじゃないかと思うが海外での人気ぶりはそれは凄いものだったらしい。何しろデビューアルバムが本国だけでなく全米でもNo.1、シングルも「Stop」を除くすべてのシングル曲(9曲)が全英1位を獲得している(そのうちの8曲は初登場での1位)。特にデビューシングル「Wannabe」は世界31カ国でチャート1位という超大ヒットである。全米チャート第1週で11位というのは、ビートルズの記録(12位)を抜いたらしい。
しかしそんな破竹の勢いだったスパイス・ガールズも98年のジェリ・ハリウェルの脱退により急速に失速する。スパイス・ガールズが体現する「ガール・パワー」の熱心な支持者でありグループの実質的なリーダーであったジェリの脱退の影響は大きくその後にリリースされた3rdアルバムは全米39位という惨敗ぶり。1996年のデビューからたった5年後の2001年に活動休止となった。アルバム3枚残して解散というのはテイク・ザットやブルーも同様なのだが、いかにこの系のアイドルグループが安定した活動を続けるのが難しいかがわかるというものだ(1993年からずっと活動中のバックストリート・ボーイズは例外中の例外だと思う)。現在のNo.1ボーイズグループのワン・ダイレクションは昨年4枚目のアルバムを出してこのハードルを破っているかに見えるが今年5月のゼインの脱退以降メンバーのゴシップネタが絶えず心配だ。

Spice

Spice

 

 「Spice」はスパイス・ガールズのデビューアルバムである。冒頭の「Wannabe」から「Say You'll Be There」「2 Become 1」と立て続けに大ヒットのシングルカット曲が続くがその他の収録曲もR&Bをベースとしたキャッチーでしかも洗練された雰囲気の曲が揃っている。決して1人1人の歌唱力が突出しているわけではないが、当時の破竹の勢いが反映されたようなアルバム全体感を覆うキラキラ感と幸福感は何物にも代えがたいものだ。しかしテイク・ザット→バックストリートボーイズ→ワン・ダイレクションといつの時代も常にトップグループが存在するボーイズグループに比べて女性のほうはかつてのスパイス・ガールズに匹敵するグループがまだ出てきていないのはさびしいことである。女性ソロアーティストは百花繚乱なのに不思議なことだ。最近「ワン・ダイレクションの妹分」と言われている、あのマンサンのアルバムの名前みたいなグループ(←どうやらリトル・ミックスのことを言っているらしい)はなかなか勢いがあるようだけどまだ若いしこれからのさらなる活躍に期待だね。

 

「The Golden Age of Wireless」Thomas Dolby(1982)

トーマス・ドルビーは、ハワード・ジョーンズと並ぶ80年代を代表するシンセポップアーティストである。しかしそのキャラの表出の仕方は対照的ともいえる。もし「文系シンセ」と「理系シンセ」という表現が許されるのであればハワジョンは前者でありトーマス・ドルビーは後者である。大体デビューアルバムのタイトルからして「Human's Lib」(ハワジョン)と「The Golden Age of Wireless」(トーマス・ドルビー)だからな。収録曲のタイトルも「Love」「Self」「Equality」と人文社会系の単語が多いハワジョンの1stに対しトーマス・ドルビーのそれは「Science」「Radio」「Windpower」「Airwaves」と理工系の単語ばかりとこれも対照的だ。「ドルビー」という芸名やマッドサイエンティストのような風情のルックスに加え、父親が大学教授という血筋の良さも何だかとんでもなく頭よさそうな印象を持たせるものだった。実際その後音楽活動のほかにインターネット事業に乗り出して会社経営などしていたらしいから頭の良さは本物なんだろう。
トーマス・ドルビー最大の代表曲は「彼女はサイエンス」という、何だか現在の「リケジョ」ブームを予感させるような邦題の曲である。原題は「She Blinded Me With Science」という、これまた何だか近年のSTAP細胞事件のような「理系+女性」という属性に騙される大衆の心理を揶揄しているようなタイトルだ。元々この「彼女はサイエンス」は1st「The Golden Age of Wireless」の収録曲ではなかったのだが、後の1983年のバージョンで追加収録されたのらしい。以前取り上げたラッシュの「Signals」もこの時期のリリースなので、今と違って80年代前半は科学技術に対する素朴な憧れみたいなものがまだ人々の中にあったんだろう。 

The Golden Age of Wireless: Collector's Edition/Remastered/+DVD

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先ほど「理系シンセ」と書いたが、本作の楽曲自体は非常にポップで有機的である。リリース当時、1980年頃の英国におけるシンセポップ・ブームも終盤に近づいており単に「シンセサイザーを使いさえすれば近未来感を演出できる」という発想では既に周りに見向きもされない状況にあったのだろうか。この時期にデビューしたハワード・ジョーンズもやはりシンセポップの先駆者であるヒューマン・リーグやウルトラヴォックス等とは全く異なるウォームな音作りで存在感をアピールしていたが、トーマス・ドルビーの作品も基本的には「歌モノ」であることは本作を聴けば実感できると思う。「彼女はサイエンス」の他、キャッチーでポップな「Europa and the Pirate Twins」、いかにも欧州といった風情の叙情的な「Airwaves」他、魅力的なメロディーを持つ曲が揃っている。個人的にはこの作品には「科学」以上に「欧州」という空気を感じている。あまり「イギリス」臭さを感じないのは、ドルビー本人が小さい頃から外国暮らしが長かったからだろうか。