sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Spooky Action」Paul Draper(2017)

プログレッシブ・ロックというと日本ではどうしても例の70年代英国五大バンドやユーロロックカンタベリー系周りのイメージが強いし、NHK-FMの「プログレ三昧」みたいな番組や洋楽誌のプログレ特集でも大体この辺しか取り上げてなくてドリームシアターみたいなのは「あんなのただのメタルだろ」とバカにされるし現代プログレの第一人者スティーヴン・ウィルソンなどは存在すら無視される始末(一応この前の「プログレ三昧」では曲をかけてもらったけど、と一応フォローしておく)。大体英国プログレ専門誌で何度も表紙になっているラッシュでさえ日本ではプログレと認めたがらない空気があるしな。以前スティーヴン・ウィルソンが「Hand. Cannot. Erase.」をリリースした時にSWおよびKscopeを総力特集した「ストレンジデイズ」誌はGJであったがその後まもなく休刊してしまったしこの全く「プログレッシブ」でない現状どうにかならないんだろうか。まあ本国イギリスでも70年代プログレ原理主義者みたいなのは結構いるようでつい先日リリースされたスティーヴン・ウィルソンの「To The Bone」も80年代ポップスに影響された明るく親しみやすい作風に「彼はプログレを捨てたのか?」みたいな議論がなされているようでどこでもプログレッシャーというのは面倒くさい連中なのだということを実感させられる。

SPOOKY ACTION

SPOOKY ACTION

 

ポール・ドレイパーは90年代後半に人気を博したマンサンのヴォーカリストである。 一般的にマンサンはUKオルタナティブ/インディーロックのバンドという認識なので、このポールの初のソロアルバム「Spooky Action」のリリースが現代プログレッシブロックを牽引するKscopeレーベルからというのは少々意表を突いた選択かもしれない。元々マンサンは2nd「Six」においてプログレ的なテイストを全面的に見せてはいたけれども、その路線に当時所属のレコード会社が難色を示したらしくその次のアルバム「Little Kix」ではプログレ色が大幅に後退した王道バラード路線で本人的にも色々と不満があったようで、今回のソロアルバムが「実質のマンサンの3rd」という位置づけでもあるらしい。ポールは元々70年代プログレは特にファンというわけではなく(せいぜいピンク・フロイドの「危機」を聴いたぐらい?)、プログレ的な要素は主に後期ビートルズやプリンスなどからの影響であるということだが、Kscopeとの契約といいスティーヴン・ウィルソンとのコラボレーション(←「EP ONE」収録曲の「No Ideas」)といい、本人が現在やろうとしているタイプの音楽がいわゆる「現代プログレ」といわれる類のそれに非常に近いことは否めないと思う。本作もマンサン解散から14年という歳月を経ているという予備知識がなくても相当の時間をかけて非常によく作りこまれたアルバムであることは一回聴いただけで実感できる。冒頭から6分を超える長尺曲「Don't Poke The Bear」からして様々な時代や様式の英国ロックのエッセンスが無節操に詰め込まれた怪作である。マンサンはドミニク・チャドのギターが目玉の一つであったのだけど、本作はどちらかというと80年代ニューロマンティクスを彷彿とさせるシンセサイザーがフィーチュアされた曲が多く、その辺が聴き手の好みの分かれる所だろうと思う。一方で「Can't Get Fairier Than That」「Feel Like I Wanna Stay」のような、往年のマンサン時代を彷彿とさせるキャッチーでポップなギターロックもありどこかホッとさせられる。個人的には近年のポールの音楽上のパートナーであるThe AnchoressことCatherine Anne Daviesとの共作5曲が、The Anchoressにも共通する鬱屈したエモーションを内包したメランコリックで叙情的な作風でありながら、同時にマンサン時代からのポールの持ち味である耽美な情感が感じられて興味深い。自分一人で作るより他人の客観的な目を通したほうが、自分ではなかなか自覚しにくい本人の個性や魅力が引き出されるのかもしれない。ただし全体的に複雑で情報量が多く一回聴いただけでは掴みどころがない部分も多々あるので、Kscopeリスナーで今回初めて本作でポール・ドレイパーの作品に触れる方は、是非何度も繰り返し聴くことをお勧めする。これは全くの憶測だがスティーヴン・ウィルソンが「To the Bone」を制作するにあたり、イメージしたアーティストの一人に(はっきりとは明言されていないが最近のコラボの動きを見ても)ポール・ドレイパーもいたんじゃないかと思う。彼の80年代ニューウェイブに影響された一見ポップでありながらコアの部分は複雑で屈折した作風と、プログレオルタナティブの絶妙な境界線にいる立ち位置は、後期ポーキュパイン・トゥリーで顕著だったヘヴィー路線を離れたSWが次に目指す場所なのかなと思っている。今、「境界線」と書いたけれども、オリジナルで奇妙で複雑で面白いものという点では「プログレッシブ」も「オルタナティブ」も本質的には全く変わらないと思うし、今後のポールおよびKscopeには本質的な意味でのプログレッシブ/オルタナティブロックを提供してもらいたいものである。

【この一曲】Steve Jansen & Richard Barbieri「Sleepers Awake」(「Stone To Flesh」(1995))

私の無駄に長い音楽人生の中で後悔しているものの一つに「もっとJAPAN関連を真面目にフォローしておけばよかった」というものがある。どうもJAPANというと当時大人気だったロック漫画「8ビートギャグ」に代表されるミーハー腐女子的ノリが苦手で当時はあまり入り込めなかったのだ。デヴィッド・シルヴィアンの作品を集めだしたのが今から10年ぐらい前なのだけど、「何でしょっちゅう日本に来ていた90年代の頃にライブ見に行かなかったかなぁ~」と今頃になって後悔の嵐である。デビシルでそれなのだから他のJAPANのメンバーのミック・カーンやスティーヴ・ジャンセンやリチャード・バルビエリなど全くのノーマークで気がついたらミックは他界してるし悔やんでも悔やみきれない。この辺をJAPAN解散直後からちゃんと追っていたらもっと早くにポーキュパイン・トゥリーに出会えたのかなぁと思うと悔しさ倍増である。

「Stone To Flesh」はジャンセン&バルビエリ名義では3枚目のアルバムとなるが、その他にもこの2人はDolphin Brothers名義のアルバムもあるしミック・カーン加えてJansen/Barbieri/Karn名義でも作品を出しているので、実際は何枚目のアルバムといっていいのかよくわからない。いずれにせよ全部持っている人は相当なJAPANオタだと思う。デビシルの作品は全部持ってますという人でも、JBK関連の作品までコンプリートしている人はなかなかいないんじゃないかという気がする。現在これらの作品の大半が廃盤になっているが、「Stone To Flesh」は一昨年にKscopeからリイシューが出たため比較的手に入りやすいと思う。その他の作品も個々のソロアルバムも含め今Kscopeがぼちぼち再発を頑張っているので今後に期待したい。


Mick Karn with Richard Barbieri, Steve Jansen and Steve Wilson - Sleepers Awake live

これはジャンセン&バルビエリがミック・カーンやスティーヴン・ウィルソンと共に1997年に赤坂BLITZで行われたLUNA SEASUGIZO主宰のAbstract Dayというイベントに出演した時のライブである。「Sleepers Awake」は躍動感あふれるインスト曲で「Stone To Flesh」の中でも出色の曲だが、なぜこのバージョンをあえて選んだのかというととにかくミック・カーンのプレイが素晴らしいからである。正直言ってミックのベースとスティーヴン・ウィルソンのギターが突出して過ぎて肝心のジャンセン&バルビエリの演奏を見落としがちになってしまうのが難点だが、この鬼気迫る白熱した演奏を聴くと「レイン・トゥリー・クロウとはいったい何だったのか」と思ってしまいたくなる。元JAPANのメンバーが再集結したことで話題を呼んだこのプロジェクトは1989年から制作を開始し1991年にセルフタイトルのアルバムがリリースされたが、JAPANというよりはそれまでのデビシルのソロの延長みたいな作品だったし彼のバックバンド扱いされた他のメンバーはさぞかし不満だろうなと思っていたらやはり当時のロッキング・オンのインタビューでデビシル除く3人たちがデビシルの事をボロカス貶していて「あーやっぱり」と思ったものである。この辺のドロドロ話はミック・カーン自伝やデヴィッド・シルヴィアン伝(「On the Periphery」邦訳)に詳しいが、このプロジェクトが転機となって元JAPANのメンバーの活動がそれぞれ新たなフェーズに入った印象がある。今から思うとデビシルロバート・フリップと共演していた時期に、他のメンバーたちはスティーヴン・ウィルソンと共演しているという事実が、何か不思議な縁のようなものが感じられて仕方がない。もっとも当時のSWは上の動画では名前も出してもらえないほど無名だったけどな(笑)しかしこの時に赤坂BLITZの彼らのライブを見に行った人たちは絶対勝ち組だと思う。当時はブリットポップ全盛期で自分もそっちに夢中だったからこんな貴重なライブやってたなんて全然知らなかったよ(涙)

「The Gift」The Jam(1982)

私がジャムというバンドの存在を知ったのは、先日のポリスの記事で触れたように小学4年だか5年生の頃で、近くのレコード屋でポリスのLPを物色していた時に同じコーナーに入っていたのがジャムだったからなのだが、彼らの曲を初めて聞いたのはそれから数年後、ラジオ日本の「全英TOP20」で当時全英チャートNo.1曲として紹介された「Town Called Malice」である。当時ジャムは本国において絶大な人気を誇っていたようで、この時期に行われたNMEの読者人気投票においては各部門殆ど総ナメ状態であった。特にポール・ウェラーに対する人気ぶりは最早宗教で男性シンガー部門とかギタリスト部門とかソングライター部門みたいなまともなものからベスト・ドレッサー、ベスト・ヘアカット、果ては「Most Wonderful Human Being(最も素晴らしい人物)」なるネタみたいな部門に至るまですべてポール・ウェラーが1位という、「NMEってジャムのファン会報誌だったんですね解ります」「あんたら何でもジャムとかポール・ウェラーとか書けばいいと思ってるでしょ」とツッコみたくなる状況であったことは確かである。日本において当時ジャムがどれだけ人気だったかはよくわからないが、当時の「音楽専科」誌の表紙になるぐらいは人気だったんだろうと思う。しかしそれよりはブリットポップに多大な影響を与えたネオモッズの代表格としてのジャムを後追いで聴いてファンになった人のほうが多いんじゃないかと個人的には感じている。まあ確かにジャム時代のポール・ウェラーは若くてイケメンだったしな(笑)ジャム解散時点のポール・ウェラーはまだ24歳で、当時もまだ若いのによくそんな大変な決断をしたなと驚いたものだがジャパン解散時のデヴィッド・シルヴィアンも24歳だったしおそらくデビュー時の18歳から24歳までの期間というのはアーティストとしての成長曲線が他の時期に比べても恐ろしく急勾配的に伸びていくものなのだろう。最近のミュージシャンは大卒が多いせいかデビュー時にはすでにある程度完成されている所があってかつてのポール・ウェラーデビシルのような劇的な音楽的変化を目の当たりにする機会があまりなくなってしまったのは残念なことである。

ザ・ギフト

ザ・ギフト

 

 「The Gift」はジャムの6枚目のアルバムにして最後のスタジオ録音盤である。前作までの勢いを受けて初の全英1位を獲得したが現在の本国における評価は3rd「All Mod Cons」から前作「Sound Affects」あたりまでと比べるとやや微妙のようだ。このアルバムのリリースまもなくして解散したこともあるだろうが多分彼らが蛇蝎のように嫌うスタイル・カウンシルっぽさが既に現れ始めているからというのも大きそうだ。しかしスタカンが好きな人にとっては多分本作が一番とっつきやすいジャムのアルバムである。モータウン風味の「Town Called Malice」はもちろんのこと、「Precious」などはスタカンの「Internationalists」を彷彿とさせるし、ブルース・フォクストンのファンキーなベースが冴えるインスト「Circus」、ラテン風味の「The Planner's Dream Goes Wrong」など様々なジャンルに影響を受けたバラエティーに富んだ楽曲が揃っている。一方で「Running On The Spot」「Carnation」のようなジャムらしい真っすぐでキャッチーな曲も健在で、やはりジャムとスタカンの橋渡し的な位置づけのアルバムと言っていいと思う。ジャムを解散させた理由は当時ポール・ウェラーがやりたかったタイプの音楽に他のメンバーが(演奏能力的に)ついていけなくなったから、と言われているが本作を聴く限りそこまで気にならない。むしろファンやメディアの期待する「ジャム的なもの」が既にガッチリ確立されてしまっていて、彼が新たにやろうとしていた音楽がジャムという既存の(かつ特定のイメージを持つ)フォーマットの中でやるのは潔くない、という判断だったんじゃないだろうか。その辺がウェラーらしい潔癖さともいえるし不器用さともいえるが、後に彼がスタイル・カウンシルで当時流行りのハウス・ミュージックを丸々アルバムの中でやろうとしてレコード会社に却下されてそれがスタカンの解散を引き起こしたことを思えば人気絶頂のカッコいいイメージのままジャムを解散させたのはむしろ良い判断だったと言わざるを得ない。しかし既に40年以上にわたる音楽キャリアの最初の数年間ばかりがいまだに話題にされる状況というのは本人的にはどう思ってるんだろうか。ついこの前も新譜を出したばかりのポール・ウェラーがインタビューで「ジャムが再結成すると思うなんてバカか?」とキレてたようだけど、いまだにファンやメディアからジャムを引き合いに出されることはソロアーティストとしての自分のキャリアを全否定されているようで面白くないんだと思う(その割に自分のライブでジャム時代の曲を演るじゃんかというツッコミは置いておくとしても)。先日私がツイッターで実施したアンケートもジャムやスタカンに比べてソロが一番いいという人が有意に少なかったもんな。理由は色々あると思うが一言で言って色んな意味でソロ作品は「渋すぎる」んだと思う。特に後追いでジャムやスタカンのファンになった若い世代のファンだとスタカンの面影のある1stはともかくそれ以降の作品群の米国南部音楽に影響を受けた泥臭くも渋いカッコよさがピンと来ないんじゃないだろうか。前回の記事じゃないけど私も初めて「Wild Wood」を聴いたとき「何でそっちに行っちゃうんだよ」って思ったからね。でもやっぱりポール・ウェラーは現在進行形でカッコいいと思うよ。

「The Long Road Home」Danny Worsnop(2017)

私の長年の疑問の一つに「何故イギリス人ミュージシャンはブルースやカントリーが好きなんだろう」というものがある。自分の乏しい知識の中でもU2の「ヨシュア・トゥリー」、プライマル・スクリームの「Give Out but Don't Give Up」、シャーラタンズの「Us and Us Only」そしてポール・ウェラーやカタトニア(Catatoniaです念のため)のケリス・マシューズのソロ作品等々挙げられるからその系の音楽に詳しい人ならこの10倍は軽く思いつくだろう。個人的に20代の頃までこれらルーツ・ミュージックと言われる米国南部音楽の泥臭くも渋いカッコよさが全く分からなかったので、デビュー時は純然たる英国ギターロックで出発したバンドが途中で米国南部音楽に目覚めてその系の音楽に影響されたアルバムを出す度に「あんたもそっち行っちゃうの?」と複雑な気持ちになったものだ。彼らの米国南部音楽への傾倒はローリング・ストーンズなど先駆者たちの影響はもちろんあると思うが、その背景にはかつてU2が痛感したという「ロックをやる以上、そのルーツである米国南部音楽の素養も必要なのでは」という実に生真面目な動機に基づいているのではないかと推測する。あるいいはもっと漠然とした、これらルーツ・ミュージックが象徴する「アメリカ的なもの」に対する憧れなのかもしれない。元々自分の育った文化になかったものを一生懸命吸収しようとする彼らの姿は実に愛おしく思えないだろうか。

このブログでダニー・ワースノップを取り上げるのはWe Are Harlotの1stおよびAsking Alexandriaの3rd(「From Death to Destiny」)に引き続きこれで3度目である。しかし彼ほど短期間のうちに音楽のスタイルを劇的に変えつつ、それぞれの分野で高い評価を得てきたアーティストというのもそうそういないように思う。そのコアとなっているのはもちろん彼の骨太でパワフルな歌唱力にあるのだけれど、メタルコア(アスキン)とハードロック(We Are Harlot)という互いに異なるジャンルに求められる歌唱スキルをあっという間にものにしてしまうセンスは天性のものだと言わざるを得ない。しかし目下ダニーのマイブームはカントリーである。メタルコアからハードロックへの彼の移行には何とかついてこれたアスキン時代からのファンでもさすがにカントリーとなると「え~そっちに行っちゃうの?」感があるのではないだろうか。とはいえ基本は純然たるカントリー音楽というよりはアメリカンハードロックにも通じるカントリーロックなので、少なくともWe Are Harlotが好きな人であれば現在のソロでのカントリー路線も余裕で楽しめるだろうと思う。

The Long Road Home

The Long Road Home

 

 「The Long Road Home」はダニーのソロ第1弾となるフルアルバムである。元々は「The Prozac Sessions」というタイトルだったのだが権利上の問題で変更を余儀なくされたものらしい。とはいえ収録曲には「Prozac」というタイトルの曲がそのまま残っており本作のテーマであるこれまでの彼の波乱に満ちた人生と絶望と後悔と酒と酒と酒というコンセプトは損なわれていない。当初「30曲入り2枚組アルバム」を想定し曲をたくさん書きためていたのを最終的に12曲まで落としたので、1曲1曲が非常にクオリティーの高い実に内容の濃いアルバムとなっている。このアルバム一つとっても「メタル系ボーカリストがカントリーやってみました」というノリではなく真面目にカントリー歌手としての活動に真剣に取り組んでいるのが好感が持てる。エモーショナルで哀愁に満ちた「Prozac」「Anyone But Me」「Quite A While」、明るく享楽的な「Mexico」、軽快で諧謔に満ちた「I Feel Like Shit」「Don't Overdrink It」、ハードロック的パワフルさ溢れる「Midnight Woman」等々バラエティーに富んでおり私のようにカントリーに全く未知なリスナーでも聴いてすぐにその良さがわかるアルバムである。というか何だかんだで様式こそアメリカ音楽ながら基本的なメロディーセンスにイギリス人ならではの端正さが見え隠れするしむしろこの点においてブリットポップやUKギターロックのファンにも勧められるものだ。実はこのアルバムを聴きながら私が思い浮かべたのはブラーのブリットポップ期の作品群やポール・ウェラーの「Wild Wood」~「Heavy Soul」あたりのソロ作品群だった。曲が似てるというわけではないけれどどこか空気感とかフィーリングが共通するものがあるように思う。その出自からどうしてもメタルコアのイメージの強いダニーだけれど、どちらかというとメタルは苦手という人にこそ先入観抜きに聴いてもらいたいアルバムである。できればソロで来日してもらいたいものだけど、ジャンル的にフィットするフェスやイベントが果たして日本にあるかな。

「Ghost in the Machine」The Police(1981)

私が本格的に洋楽オンリーの生活に入る少し前の小学5年生の頃によく聴いていてたバンドがポリスだった。多分バンド名が小学生的にもわかりやすかったんだと思う。当時の音楽誌に載っていた3rdアルバム「ゼニヤッタ・モンダッタZenyatta Mondatta)」の広告が妙に気になっていたものだ。全員金髪というのもインパクトがあったし「銭やったもんだった」みたいなタイトルも面白かった。しかし何しろ当時全くお金のない小学生であったので、FM番組のポリス特集みたいなのを探してエアチェックするぐらいの事しかできなかった。ちなみにちょうどこの時期に彼らは初来日を果たしているのであるが前々から注目度の高いバンドだったようでテレビ放映があった記憶がある。当時テレビ音源をライン録音する手段も知恵もなかったのでテレビの前にラジカセをおいて無理やり音を拾ったものだ。3人組でメンバーのキャラも立っていたから彼らの漫画を描いたこともある。しかしポリス漫画を描く小学生って今から考えるとかなり不気味ではないだろうか。余談だが当時住んでいた家の近くのレコード屋ではポリスとThe Jamが一緒のコーナーにされていたのでThe Jamというバンドも名前だけはこの時期に覚えたものだ。後にちゃんとThe Jamを聴くようになるのは何年もたってからである。今から思うと何故この2バンドが一緒にされたのかよくわからない。英国出身の3人組ということぐらいしか共通点がないと思うのだが(しかもスチュワート・コープランドはアメリカ人だし)。ポリスが独特なのは出発点こそパンクでありながら、ジャズ・レゲエ・プログレとそれまでのメンバーたちのバックグラウンドが融合した、他のどのバンドとも異なる、聴けばポリスとすぐわかるスタイルを早いうちから確立していたところだと思う。80年代のラッシュがそれまでの大作路線を離れ「Signals」ではポリスを彷彿とさせるレゲエのエッセンスを取り入れたニューウェイブに寄せた音作りで話題となったが、それだけ当時のポリスの他バンドに対する影響力も絶大だったということだろう。

Ghost in the Machine (Dig)

Ghost in the Machine (Dig)

 

 「Ghost in the Machine」はポリスの4thアルバムである。現在では前3枚および5th「Synchronicity」に比べて少々地味な扱いをされている作品であるが全英1位全米2位と前3枚を上回るチャート実績を残している。私がポリスを好きになってから間もなくリリースされたので、とりわけこのアルバムが思い出深い。メンバーの顔を電卓でよく見るセグメントディスプレイで表現したジャケットも小学生的には面白かった。アルバムタイトルといいジャケットといい、また収録曲の「Spirits in the Material World」「Too Much Information」「Rehumanize Yourself」といった曲名からしても現代社会に対する批判がこの作品のメインテーマと思われ実際にダークで内省的な曲が多い。例外はシングルにもなった「Every Little Thing She Does is Magic」で、個人的には彼らの代表曲「Every Breath You Take(見つめていたい)」よりも断然好きである。現在このアルバムがやや過小評価気味なのはこの後の「Synchronicity」が派手な曲が多いからなのと、このアルバムの持つメッセージ性が、後に社会活動家としても活躍することになるスティングのキャラクターと結び付けられてどこか説教臭く感じさせるものになっているからかもしれない。大体初期の頃のパンキッシュなノリがあったからこそポリスなんて名前も面白かったのに本当に警官っぽく生真面目になっちゃったら胡散臭いだけではないか。しかし音的にはキーボードやホーンがフィーチュアされ前3作よりも世界観の広がった成熟した音作りをしており、この辺は本作のプロデュースを手掛けたヒュー・パジャムの功績なんだろうと思う。一回聴いて良さがわかるというよりはやはり繰り返し聴くごとによさのわかるタイプのアルバムで、後追いでポリスを聴く人にも無視しないでほしいアルバムである(というかポリスは全部揃えたほうが良いんだけど)。

それにしてもこのジャケットの三人、誰が誰だかわからないな。真ん中はどうせスティングなんだろうけど特に左側は何の特徴もなくてかわいそうだ。Wikipediaによると左はアンディ・サマーズらしい。アンディってそんなに特徴ないですかね?

「Private Eyes」Daryl Hall and John Oates(1981)

今でこそ当たり前のように英国派を自称しているけれども、元々自分が洋楽オンリーの道に入ったきっかけはアメリカはフィラデルフィア出身のダリル・ホール&ジョン・オーツだった。小学生の時に偶然見つけて聞いていたFEN(現AFN)でよくかかっていたのがホール&オーツの「Private Eyes」だったのである。その時は(すべて英語だったから)バンド名すら全くわからなかったけれど、当時放映していた「ベストヒットUSA」で偶然かかったPVを見て名前を知り、本屋で「ミュージック・ライフ」誌(以下「ML」)を即購入したのである。それが私にとって初めての洋楽誌であった。今から思うと小学生にとっての洋楽の入り口としては随分と渋い選択だったと思う。当時MLの編集長だった東郷かおる子女史はダリル・ホールのミーハーファンを自称していたしかの雑誌お得意の美青年特集(笑)でも度々ダリルを登場させていたのだが、デヴィッド・ボウイデヴィッド・シルヴィアンジョン・テイラーデュラン・デュラン)等欧州耽美系アーティストがひしめく中ごり押し感はぬぐえず苦笑ものであった。当時「イケメン」という便利な言葉がなかったのでこのような違和感ありありなセレクションとなったのだろう。これはひょっとして私だけの感覚かもしれないが「イケメン」とはルックスやスタイルやファッションが当世風(≒今風)である男性を指すのであって本来の顔の造形の端正さはさほど厳密に求められてないような気がする。ダリルは確かに金髪碧眼長身のイケメンだけれどもソロとしては個性が弱く、やはりジョン・オーツというダリルとはルックスも声質も全く正反対の個性を持つパートナーがそばにいるからこそ本来の持ち味を発揮するタイプだと思う。前にワム!の記事でも書いたのだけど特に「デュオ」においてはどちらか一方だけがソロで活躍できてしまうぐらいの個性と存在感を持ってしまうとその体制を長く維持し続けることが難しくなる。ワム!の場合はジョージ・マイケルが卓越した歌唱力もありかなり早い時期にソロで充分にやっていけるだけの存在感を身に着けてしまったのでわずか活動期間5年で解散してしまったのだけれど、ホール&オーツが1970年の結成から一度も解散することなく現在まで活動を続けてきたのは、やはり彼らの見事な「凸凹コンビ」ぶりによるところが大きいからじゃないだろうか。

元々彼らはブルー・アイド・ソウル(白人ミュージシャンによるソウル~R&B音楽)のデュオとして出発したのだが、やはりジャンルの壁は厚かったのか商業的にはかなり苦戦していたようである。しかしこの時期のホール&オーツに何とJAPAN結成前のデヴィッド・シルヴィアンが興味を示していたらしく「War Babies」(1974年)は彼のお気に入りだったという(何でこの全米86位の地味なアルバムにイギリスのロンドン郊外の一青年が興味を示したのかさっぱりわからないのだが、恐らく当時の彼のマイブームであったモータウン他アメリカのR&B音楽への傾倒と関連があるのだろう)。その後「Sara Smile」「She's Gone」(1976年)「Rich Girl」(1977年)等の全米トップ10ヒットを飛ばすものの当時全世界的に猛威を振るっていたディスコブームに乗り切れずトレンドに逆行するかのようにロック路線に転換するなどしばらくの間低迷していたようである。 今でこそロックとR&B音楽の融合など珍しいことでも何でもないが80年代初期は両者の間にはまだまだ分厚い壁があったように思う。かくいう私も当時はオコチャマだったので彼らのR&Bの部分がピンとこなかった。今聴くとギラギラ感の強い80年代の作品群より初期のR&B色の強い作品のほうが心地よく感じるのだけれど、小学生にとってはロックのわかりやすさのほうが魅力だったんだろうと思う。

Private Eyes

Private Eyes

 

 「Private Eyes」はホール&オーツの通算10枚目のスタジオアルバムで彼らの初の全米トップ10ヒットとなったアルバムである(最高位5位)。デビュー当初から彼らが試行錯誤を続けてきたR&Bとロックの融合が初めて実を結んだ作品ともいえるだろう。その前のアルバム「Voices」も「Kiss on My List」(全米1位)「You Make My Dreams」(全米5位)等大ヒット曲や後にポール・ヤングのカヴァーで知られることとなる「Everytime You Go Away」を収録した名盤なのだけれどロック色の強い曲群の多い前半(A面)と渋いR&Bの多い後半(B面)にはっきり分かれているために当時オコチャマだった私にとってB面は何だか敷居が高くてA面ばかり聴いていたので、ロックとR&Bの両者がバランスよく混ざった「Private Eyes」のほうがよりとっつきやすいアルバムに感じたものである。タイトル曲の「Private Eyes」はキャッチーなメロディーが印象的なロック色が強い曲であるが、もう一つの全米No.1ヒットである「I Can't Go for That (No Can Do)」は洗練の極みといえるR&B曲(この曲の特徴的なベースラインを「Billie Jean」で取り入れさせてもらったと後にマイケル・ジャクソンUSA For Africa(「We Are the World」の曲で有名)のプロジェクトでホール&オーツに出会ったときに語ったというエピソードがある)で前者と好対照をなしている。しかしこのアルバムの最も良い所はシングル曲以外の収録曲のレベルが一様に高いところであって、どの曲もシングルカットに耐えられる完成度の高さを持っていると思う。特に後半に良曲が集中しており「Head Above Water」やジョン・オーツがヴォーカルの「Friday Let Me Down」もノリの良いロックナンバーだ。しかし個人的に最も好きで今も繰り返し聴くのが感傷的なメロディーの「Unguarded Minute」である。一般的によく知られているホール&オーツのアルバムはこの次の「H2O」や「Big Bam Boom」であるが、個人的には全盛期に向かって駆け上がっていく勢いの本作が、初めて出会ったホール&オーツのアルバムということもあり特に思い入れのあるものである。後にワム!スタイル・カウンシル等のブルー・アイド・ソウルのユニットが続々と登場するがその潮流を作ったのがホール&オーツであることは間違いない。「もう1人」ネタでいじられていたことも共通だしな。誰だよもう1人って(←どっちとは敢えて言わない)

「4」Foreigner(1981)

これまでの自分の無駄に長いだけの音楽遍歴を振り返ってみると、どうやらプログレあるいはハードロックのいずれかの要素を含むバンドに特に惹かれる傾向があるようで、そのルーツとなっているのは私が洋楽にハマる決定的なきっかけとなったアメリカン・プログレ・ハードである。代表的なバンドとしてジャーニー、スティクス、ボストン、TOTO等が挙げられるが、彼らに共通する明るくキャッチーなメロディーと高度な演奏力に支えられた安定したクオリティの楽曲群から日本の某音楽評論家などは「産業ロック」と揶揄したほどであるが、実際これらのバンドの曲が一時期全米チャートを席巻していた時期があったので半分やっかみも入っていたんだろう。

フォリナーという米英混合バンドもそのプログレ・ハードと呼ばれたバンドの1つで、前回の記事では「現在ではイケてると思われていない」というようなことを書いてしまったのだが、実は彼らの全盛期であった80年代前半も日本の洋楽誌では「フォリナー的」という形容はどちらかというと否定的な文脈で使われることが多かったように記憶している。しかし今にして思えば彼らは洋楽の入り口としては最適な、適度にハードで耳に残りやすいメロディーという解りやすい魅力を持ったバンドで、現在このような位置づけのバンドはちょっと見当たらないのではないだろうか。バンドの半数が英国人メンバーであるせいかジャーニー等と比べどこかメロディーにウェットな哀愁が感じられるのも日本人好みだと思う。ちなみにフォリナーの初期のメンバーであるイアン・マクドナルドは何とキング・クリムゾンに在籍したことがありしかも例の「宮殿」のレコーディングメンバーですらあるのだが個人的にフォリナープログレ要素を感じたことは殆どない。TOTOの初期などは邦題も「宇宙の騎士」だし派手で壮大な盛り上がりをみせる曲が多くてプログレ的ということもできるのだがフォリナーは最初からコンパクトにまとまったハード寄りのメインストリーム・ロックという感じで、彼らがプログレ・ハードといわれるのはぶっちゃけ元キング・クリムゾンのメンバーがいたから(笑)ってだけじゃないかという気もしないでもない。 

4

4

 

「4」はフォリナーの4枚目のアルバムで、当時のビルボード・アルバムチャートで10週連続1位という記録を持つモンスターアルバムである。アルバム名は4枚目ということと、元々6人組だったのがこのアルバムから4人編成になったところから来ている。「4」と大きく描かれたアルバムジャケットもシンプルながらインパクトがあり当時英語のタイトルなど全く無知な小学生だった私にとっても非常に解りやすいものであった。デフ・レパードの代表作「High 'n' Dry」「Pyromania」「Hysteria」を手掛けたことで有名なジョン・マット・ランジによるプロデュースのためか、前作からさらにハードロック寄りの作風に仕上がっている。特に「Night Life」「Juke Box Hero」「Urgent」などを今聴くと「何だこのデフ・レパードみたいなの」と思ってしまう人もいるのではないだろうか。しかし「4」を有名にしているのはこれらハードロック路線の曲群より何と言ってもメランコリックで美しいバラード「Waiting for a Girl Like You」(邦題「ガール・ライク・ユー」)である。ビルボードチャート10週間連続2位という珍しい記録を持ち、当時まだ無名だったトーマス・ドルビーによる冷気を帯びた月光のようなシンセサイザーがとりわけ印象的な曲である。この次のアルバム「Agent Provocateur」からのシングルでフォリナー最大のヒット曲である「I Want to Know What Love Is」もまた聖歌隊がフィーチュアされた壮大なバラードで、結局この2曲が現在のフォリナーに対するイメージを決定づけているように思われるのだが、後追いでフォリナーを知った若い世代の人には是非この「4」を通しで聴いてもらいたいと思う。ハードロックありバラードありノリの良いロックンロールありの非常にバランスのとれた粒揃いの楽曲の揃った名盤だ。