sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Fried」Julian Cope(1984)

今住んでいるところの近くに川があって、そこでカメがいつも数匹甲羅干しをしていてとてものどかな光景なのだけれども、「亀の甲羅と言えばジュリアン・コープじゃないか」と思い出したのはつい先日の事だった。日頃よりマンチェスターよりリヴァプール派、スコットランドよりウェールズ派を標榜している自分としてはかなり迂闊なことである。何と言ってもジュリアン・コープは生まれこそ南ウェールズ(育ちはイングランドのタムワース)であるが彼のバンドTeardrop Explodesはエコー&ザ・バニーメンと共に80年代リヴァプール・ネオサイケを代表するバンドなのだから。でも90年代ブリットポップのファンだとブラーの「Pressure on Julian」のジュリアンだというイメージのほうが強いと思う(ブラーにはこのほか「Coping」という曲もある)。尤も現在は本業の音楽より日本ロック史本「Japrocksampler」の著者としてのほうが知られているかもしれない。そもそも80年代リヴァプール・ネオサイケ自体がマンチェスター勢に比べてそれほどメジャーな存在ではない上に、活動期間が短かったためエコー&ザ・バニーメンと比べても日本におけるティアドロップ・エクスプローズの知名度は低かった。彼らのアルバム、特に1st「Kilimanjaro」などは派手派手しいトランペットやピロピロ鳴るオルガンがいかにもB級な雰囲気を漂わせているのだけど、「Treason」「Reward」等当時のヒット曲の他、ブラーの「Colin Zeal」の元ネタみたいな「Sleeping Gas」や当時彼らの追っかけをしていたコートニー・ラブについての歌じゃないかと噂された「When I Dream」等様々なエピソードを持つ曲が収録されており、90年代ロックファンにとっても興味深い作品だろうと思う。しかし何しろメンバーが安定しないバンドだったようで3作目を制作中にバンドは空中分解してしまうのだが、この時期の曲を聴くと当時流行りだったシンセポップ路線で明らかに迷走していたのがわかる。その後リリースされたジュリアン・コープのソロ作品はいずれもネオサイケをベースとしたロック路線だから、Tエクスプローズの終盤は彼にとって不本意で不満だらけだったんじゃなかっただろうか。

Fried

Fried

 

 「Fried」はジュリアン・コープの2ndソロアルバムである。冒頭で触れた「亀の甲羅」の意味がこのジャケットをみれば分かるだろう。まあよくもこんなデカい甲羅を探してきたものだと妙なところで感心してしまうが、当時はこのジャケットも「頭おかしい」と叩かれたようである。しかし中身はいたってまともで英国ロックらしく内省的でメランコリックながらも美しいメロディーを持つ曲が揃っている。冒頭の「Reynard the Fox」は6分にもわたるダークでラウドな大作だが、その次の「Bill Drummond Said」はサイケなギターがフィーチュアされたポップなアコースティック曲である。しかし何といってもこのアルバムのハイライトは「Sunspots」だろう。比較的穏やかでおとなしい曲が多い中、この力強いギターと朗々と歌われるジュリアンのヴォーカルは出色である。この次のアルバムの「Saint Julian」のほうがより派手でラウドなロックをやっていて、一般的にはそっちのほうがジュリアン・コープの代表作と言われているけども、自分は「Fried」の、曇り空の英国の田園風景のような佇まいが何とも好きで繰り返し聞くのはこちらのほうである。しかし当時のチャートアクションはかなり悲惨で、全英87位というちょっと信じられないような順位に甘んじている。アイランド移籍後初となる「Saint Julian」が全英11位だったことを考えると当時のレコード会社(ポリグラム)に売る気がなかったのか、メジャーから出すにはあまりにも作品が内省的過ぎたのか、それとも例の亀の甲羅ジャケットが大衆から敬遠されたのか(笑)はわからないが、今ではジュリアン・コープ作品の中でも特に評価の高いアルバムとなっている。この前マニックスのジェームズがこの「Fried」をフェイバリット・アルバムの一つに挙げていて「Saint Julianじゃないんだ」とちょっと意外に思ったのだけど、「Fried」の穏やかでポップながらどこか寂しげでメランコリックな楽曲群は、マニックスとも共通するところがあるのかもしれない。