sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「Revolver」The Beatles(1966)

私はあまりオンタイムでなかった時代のロックの名盤を遡って聴くことをしないタイプなのだけれども、このビートルズの「Revolver」はそんな数少ない名盤の一つである。私が本格的に洋楽にハマるちょうど1年前の小学5年生の時にクリスマスプレゼントにジョン・レノンの「Double Fantasy」を買ってほしいと親に頼んだのが、何故かビートルズの「Revolver」になったのだった。「Double Fantasy」が売り切れていたのか、ジャケットが小学生にはふさわしくないと思われたのか(笑)、あるいはジャケットにオノ・ヨーコが写っていたのが親的に気に入らなかったのか(笑)真相はいまだに謎である。それまでのアルバムとは違いメンバーの顔写真でなくアーティスティックな肖像画のジャケットからしてそれまで私が父や叔父から断片的に教えてもらった「アイドル」のビートルズのイメージとはだいぶ違うなと思ったものである。当時メンバーが傾倒していたLSDインド哲学サイケデリック・ロックの影響がふんだんに盛り込まれた、実験的な要素に溢れたアルバムと言われていて、実際ジョージ・ハリソンの「Love You To」などその典型と言える曲もあるのだけれど、この他にもストリングスを取り入れた「Eleanor Rigby」やコミカルで楽しい諧謔に溢れた「Yellow Submarine」や「Got to Get You Into My Life」のようなファンキーでR&B色の強い曲など実に様々なスタイルをカバーしているアルバムだと思う。しかしハイライトはある意味このアルバムを象徴すると言える最後の「Tomorrow Never Knows」で、そのLSDのトリップ感覚を再現したような、何だか狂気というか「向こう側」に行っちゃってるみたいな非現実的な世界観に小学生ながら衝撃を受けたものである。「みんな凄い凄いというビートルズだけどやっぱりスゲー」と思ったものだ。私の音楽的嗜好に多大な影響を与えたアルバムの一つであり、後に80年代リヴァプール・ネオサイケやマッドチェスター等サイケデリックロックに影響されたバンドに夢中になる下地を作ったアルバムじゃないかと思っている。

Revolver

Revolver

 

 私はビートルズに物凄く詳しいわけではないので「Revolver」が日本のビートルズファンの間でどれぐらいの人気度なのかはわからない。何となくビートルズを聴きたい人に勧める「最初の一枚」ではないという気がしている。一般的な知名度はこの前後の「Rubber Soul」と「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の方がきっと上だろう。しかし収録曲の多くが下の世代の英国オルタナティブ・インディーロックのバンドやアーティストの作品に多大な影響を及ぼしてる点で、本作は英国ロック史の中でもトップクラス級に重要な位置を占めるアルバムではないかと思っている。冒頭曲の「Taxman」一つとっても後のジャム(The Jam)の「Start」、ライド(Ride)の「Seagull」やマンサン(Mansun)の「Taxloss」への影響は明らかだし「Tomorrow Never Knows」もケミカル・ブラザーズの「Setting Sun」はじめ多数のカヴァーやサンプリングが存在する。本作で本格的に取り組んだインド音楽とロックの融合は後のクーラ・シェイカーに影響を与えたのは言うまでもないだろう。かように革新的なアルバムと言ってもいい本作なのだけれど、一方で「Here, There and Everywhere」「Good Day Sunshine」「For No One」のようにポール・マッカートニーが中心の曲はどれもポップで美しいメロディーに溢れてて聴いててほっこりするものが多く、実験的な曲群とのバランスが絶妙なのもこのアルバムのマジックと言えるかもしれない。

【この一冊】Brett Anderson「Coal Black Mornings」(2018)

今回は曲やアルバムでなく、音楽本を取り上げてみたいと思う。スウェードのフロントマンのブレット・アンダーソンが自伝を出版するという話は昨年春頃から出ていて、その時の記事ではスウェードのデビュー前のメンバーで当時ブレットの彼女だったジャスティーン・フリッシュマン(エラスティカ)がブレットと別れてデーモン・アルバーン(ブラー)と付き合いだしたあたりのことも触れているという話だったので、「これはきっとスウェードの衝撃的なデビューやらバーナード(・バトラー)のバンド脱退やらデーモンやジャスティーン他ブリットポップの主要人物がたくさん登場する90年代英国ロックの裏話がてんこ盛りだろうな」と半ばゴシップを期待する下世話な動機で読む気になったものである。しかし実際の内容はその下世話な動機を恥じたくなるような、極めて真面目で手堅い内容であった。ネタバレが嫌いな人もいると思うのでここでは詳しくは書かないけれど、本の大半は家族(特に両親)と経済的に苦しかった子供時代の話に費やされ、ジャスティーンやバーナードとの出会いやスウェード結成に向けて話が動き出すのは本の後半に差し掛かってからなので、本書はスウェードファンやブリットポップ&英国インディーロックファン向けというよりはブレット・アンダーソン個人の熱心なファン向けだと言っていいと思う(もっとも数々のスウェードの曲の由来が随所で語られるのでスウェードファンにとっても興味深い所は多々あると思う)。私などは彼のことをいまだにデビュー時の、知的で華やかで背徳的で反抗的かつナルシスティックで自信満々な「生まれながらのロックスター」的なイメージで見ていたのだけれど、本書を読んでそのイメージはかなり覆された感がある。正直な話「もっとはっちゃけても良かったんじゃないの~?」という気持ちもないではないけれど、本書全体を通じて伝わってくる謙虚さ丁寧さ真摯さはいかにも英国紳士的であり、これまであまり語られなかった彼の魅力を再発見することと思う。そしてその彼の人格形成に最も大きな影響を与えたのがこの本の前半でじっくりと語られる彼の家族である。経済的には食べるものにも困るほど困窮していたにもかかわらず芸術を熱愛する両親や姉を通して日常生活の中で音楽やアートや文学に幼少時から触れることができたことはブレット少年にとって幸運であったことは間違いないであろう。教養を与える/得るのにお金は全く関係ないということを痛感させられる。

Coal Black Mornings

Coal Black Mornings

 

 本書はKindle版が出ていたので原書にチャレンジしたのだけれど、正直言って原書の英文は非常に手ごわい。スラングの多用こそないものの難解な単語が多くやっぱり英語ネイティブの語彙力って半端ないのね~と泣く泣く何度も辞書を引いたものだ。内容の真面目さも手伝ってまるで大学の英語の副読本を読んでいるような気持ちになるので、よほど英語の勉強をしたい人以外は日本語訳を待ったほうがいいかもしれない(出るのか?)。それにしても(前回紹介した)ブラーの「13」や初期スウェードのバンドイメージに大きな影響を与えたジャスティーンという人は色々凄い女性だったんだなぁと改めて感心するばかりである。ジャスティーン本人は現在アメリカを拠点に画家として活躍しているけれども、彼女にもぜひ回想録を書いてもらいたいと思うのは私だけではないと思う。

 

【この一曲】Blur「Caramel」(「13」(1999))

前回の記事でブラーの「13」について少し触れたので、ついでにこのアルバムについてもう少し語ってみようと思う。前作「blur」(あるいは「無題」)は従来のブリット・ポップ路線から音楽性を大胆に転換し結果的に大成功したアルバムであった。それに比べると「13」の評判は残念ながら手放しで絶賛しているようなレビューをほとんど見たことがない。「脱ブリット・ポップ」路線は前作からの延長であるし、プロデューサーのウィリアム・オービットの個性が反映されているかというとそれも疑問だし、第一アルバムの前半と後半とで全く作風が異なるので、当時このアルバムリリース時に盛んに話題にされた「ジャスティーン(・フリッシュマン。エラスティカのヴォーカルでデーモンの長年のGF)との別れ」以上のわかりやすい売り文句が見当たらなかったのは仕方ない。これは全くの余談であるが、実はこの「13」リリースからたった半年後にデーモンと新しいGFのSuzi Winstanleyとの間に娘ミッシーが生まれたというニュースが入り、当時私が運営していたブラーのファンサイトの掲示板でも「何それ?」と戸惑うファンの書き込みが少なくなかったものである。「だったら最初から失恋の痛手とか大々的に宣伝しなくてもいいじゃんね~」ってなものだ。それ以来私はこの手の「別離の痛手」で語られる作品に対してはまず疑ってかかることにしている。翌年リリースのマンサンの3rd「Little Kix」についてやはりポール・ドレイパーの失恋がどうのという文脈で語られているのを見たときには「もう騙されないぞ」と思ったものだ(笑)。っていうかアルバム全体の作風がデーモンなりポールなり1人のメンバーの個人的な心情に影響されるのだとしたら他のメンバーにしてみれば「バンドを私物化すんな」って話になるんじゃないだろうか。この「13」の次のアルバム「Think Tank」制作中にギターのグレアム・コクソンが脱退するのであるが、デーモンとの個人的な確執が原因というよりは純粋に音楽的志向の相違だったんだろうと思う。前作「Blur」は当時USオルタナティブ/インディーロックに入れ込んでいたグレアムの主導で制作されたところがあるが、「13」はデーモンとグレアムの互いに異なる持ち味を何とか摺合せようと妥協点を図っている様子が作品から透けて見える。前半はゴスペル風の「Tender」やグレアムがヴォーカル+可愛い牛乳パックのPVで有名な「Coffee & TV」などキャッチーな曲が並ぶが後半の「Battle」~「Trimm Trabb」までは1曲につながっていると言っていいほど似たような雰囲気のダークでカオティックな曲が続くので好き嫌いが分かれるとしたらこの後半ではないだろうか。しかし1st「Leisure」にも似たようなサイケデリックな雰囲気の曲が結構あるしある意味この問題の後半のほうが原点回帰といえるんじゃないかと思う。実は私はこの後半のほうが好きで後半だけ聴いていることも多いのだが、どの曲にも混沌とした中にほのかなポジティヴィティーが感じられるし当時盛んに言われていたほどに「ジャスティーンとの別れ」が作品に影を落としているとは思えないんである。とりわけアルバム最後を締めくくる「No Distance Left to Run」の子守歌のように優しいメロディーは、それまでのダークなカオス沼に晒された耳には何やらカタルシスのようなものを与えてくれていると思う。


Blur - Caramel - 13

中でもこの「Caramel」はダークで難解で複雑怪奇な後半部においても最強にブッ飛んでる曲ではないだろうか。この曲についてマニックスのニッキーは「クラスター(←ドイツのクラウトロックのバンド)の曲名からパクってるんじゃないか」と指摘しているが、曲そのものにクラスターのそれと似てる点は殆どないにしてもこの曲の持つ空気感は当時デーモンが傾倒していたクラウトロックサイケデリック・ロックの影響を受けていることは間違いない。またCaramelはスラングでヘロインの意味を持つが、その名の通りドラッグでもやってないとまず表現できないであろう何かが憑依したような狂気一歩手前のトリップ感あふれる曲である。ここまでは前々からデーモンやグレアムが影響を公言していたジュリアン・コープシド・バレットの作風に共通するものが感じられるのだけれど、さらにわけわからないのが曲の終わる30秒前のあたりから唐突に曲調が変わってバイクの音に続いてノイジーなギターが派手に暴れまわる所である。ある意味それまでのサイケデリックでスピリチュアルな雰囲気がこの30秒間でぶち壊しじゃんと思うのだけれど、意地でも予定調和的な終わり方はしないぞという当時の彼らの妙なこだわりが感じられるように思われるのである。かのように「13」は雑多な要素が入り混じったとりとめのない内容の実にとっつきにくいアルバムなのにしっかり全英チャート1位取ってるところはさすがブラーというしかないが、それって例の「ジャスティーンとの別離」を大々的に宣伝したおかげなのだろうか?だとしたらパーロフォンも「失恋ネタはウケる」と思ってマンサンのLittle Kixにそれを流用してもおかしくないわなぁ(笑)。まあこれは全くの憶測にすぎないのだけどね。

【この一曲】Mansun「Forgive Me」(「Little Kix」(2000))

作品だけ聴けば充分に良い作品なのにその作品の背景やアーティスト本人が否定的立場をとっているために何となく微妙な評価をされているアルバムというのがあるが、マンサン(Mansun)の3rdアルバム「Little Kix」もその1つである。プログレッシブ・ロック的要素をふんだんに盛り込むことでブリットポップブームの余韻が色濃く残っていた当時のUK音楽シーンに多大なインパクトを与えた前作「Six」の複雑怪奇さとは全く対照的に、「Little Kix」はシンプルで洗練された音作りと物悲しくも美しいメロディーが特徴的なバラード主体のクラシックなポップアルバムである。歌詞もそれまでの比喩や皮肉に満ち溢れた作品群とはうって変わって何のひねりもないストレートなラブソングが多く、当時はこの唐突な路線変更について「ポール・ドレイパーの個人的な経験に基づいてる」と説明されていたために一般的には「ポールの失恋」がテーマのアルバムとされているのだが、この説明に当時から何らかの引っ掛かりを感じていたファンは少なくなかったと思う。「ポールに彼女がいたなんて」とショックを受けた女性ファンもいただろうけどそれ以上に私は「本当かよ?」と思ったものである。何故なら本作の1年前にリリースされたブラーの「13」がまさに「デーモン・アルバーンジャスティーン・フリッシュマン(エラスティカ)の別離」がテーマだったので、本作におけるポールのエピソードは物凄く二番煎じ感を受けたものである。ブラーもマンサンと同じパーロフォンの所属だったし会社の側がその路線で売ろうとでも思ってたんじゃないだろうか。また本作リリース当時のメンバー達の発言も「Little Kixは前2枚とは全く無関係だ」「前2枚と違うタイムレスなアルバムを作りたかった」「スモーキー・ロビンソンのような曲を作りたかった」の一点張りでどこか不自然というか腑に落ちない点が多く、どこかバンドの方向性に一抹の不安を覚えたものだった。最近になってポールは複数のインタビューで本作の制作背景について「レコード会社からSixの時みたいなプログレ要素は一切入れるなと厳命された。だからあんな作りになってしまった」と相当不満を露にして語ってるが、当時本作のテーマであったはずの失恋の事は全く触れてないので、失恋ネタはウソか、ウソでなかったとしてもLittle Kixでの唐突な路線変更の直接的原因ではなかったのだろうと推察される。恐らく多くのマンサンファンがこの作品を素直に受け入れられないのは(1)前作からの路線変更があまりにも唐突すぎるしその理由もどこか不自然(2)本作の作風がポールが自ら進んで選んだ路線でないのが曲群からも透けて見える、というのを直感的に感じ取っていたからじゃないかと思う。大体ポールみたいなメンタリティーの人間が失恋した時にあんなどストレートな甘甘ラブソング集など作るだろうか?ブラーの「13」なんか比じゃないダークで訳のわからんアバンギャルドな作品(しかも1曲30分以上)になるに決まってるよ(←そっちのほうが面白いなと今書いて思った)。
とはいえ、冒頭に書いた通り制作の背景を抜きにすればLittle Kixは作品としてのクオリティは充分に高いと思う。レコード会社からの「プログレ要素は一切入れない」という制限の中で精一杯ベストを尽くした作品と言えるだろう。ファンには今一つ素直に受け入れられない(?)ラブソング群は恐らく(当時メンバー達がさかんにスモーキー・ロビンソンを引き合いに出したように)かつてのモータウンのヒット曲のようなシンプルさを意識したのだろうと思う。これは無理矢理ポジティブな見方であるが本作は、前2作の随所に見られたギミックを一切排した、素のメロディーだけで人を惹き付けられる曲が書けることを証明した作品であり、ここで聴けるポールのヴォーカルもよく伸びる豊かな低音が特に素晴らしく、リスナーをして彼が一流のメロディーメイカーでありシンガーであると確信させるに充分な作品であると思う。ポールは度々「Little Kixは出すべきじゃなかった。Spooky Action(←ポールのソロ1st)こそが真のマンサンの3rd」と言うのだけれど、Little Kixもまたマンサンの音楽性を形成する一要素であり、この路線の延長にSpooky ActionやThe Anchoressの1st(収録曲の大半がポールの共作)があると思うので、あんまり否定してもらいたくないなぁというのが正直な気持ちである。

Mansun - Forgive Me
でも本作リリース当時、収録曲の「Forgive Me」を聴いて「これが一番許せないよね」と妹と言ってたのも事実。だってこれカルチャー・クラブみたいじゃん(笑)「Forgive Me」などと予め予防線張ってそうなタイトルなのも気に入らん。いや、曲自体は好きなんですよ?曲の終盤でビートルズのCome Togetherみたいなギターをこっそり忍ばせているのも彼らの反抗心が感じられていい。でもいつ聴いても後でボーイ・ジョージの声で脳内再生されちゃうんですが。

【この一曲】Manic Street Preachers「Condemned to Rock 'n' Roll」(「Generation Terrorists」(1992))

今でこそKscopeとか現代プログレとかプログレッシブメタル周りのバンドばかり聴いているけれども、このブログのタイトルが示す通り私は元々マニック・ストリート・プリーチャーズのファンなのである。「プログレ否定のパンクロックの流れを汲むマニックスとポストプログレのレーベルのKscopeって全く相容れなくない?」と思われる人もいるかもだけれど、実際Kscopeの歌姫の一人であるThe Anchoressのキャサリン(Catherine Anne Davies)もマニックスの熱心な信奉者なのだからマニックスとKscopeの両方同時に好きという人は他にも案外いるんじゃないかと思う。そもそもマニックスのパンク的なアティテュードはリッチー・エドワーズが作り出したもので、ジェームズ=ディーン・ブラッドフィールドやニッキー・ワイアなどは元々ラッシュ(Rush)のファンで過去にもラッシュの「The Spirit of Radio」のパクリ、じゃなくてオマージュみたいな曲(「Journal for Plague Lovers」)を作ってるし音楽的にはさほどプログレ的なものを否定はしていないのではないか。そもそもスティーヴン・ウィルソンの「Hand.Cannot.Erase.」のタイトル曲だってマニックスの「(It's not War)Just the End of Love」そっくりだったしな(←まだ言ってる)。元々マニックスの作品が持つメロディアスかつどこか感傷的でメランコリックな世界観は多くのKscopeアーティストたちの作品が持つ世界観と親和性が高いのだろうと思う。特にAnathemaの「Untouchable pt.1」などはジェームズが歌ってても全く違和感ないのではないか。最近はマニックスとも共通のファンの多いマンサン(Mansun)のポール・ドレイパーもKscopeに移籍してきたし、この辺の「既存のジャンルを超えた、叙情的で耽美で感傷的でメランコリックな音楽」が今後ますます充実していくのが楽しみである。

と前振りが大分長くなってしまったのであるが、そんなマニックスに私が本格的にはまったきっかけとなったのが1st「Generation Terrorists」(以下GT)の本編最後を飾る「Condemned to Rock 'n' Roll」である(実際は盤によってこの後に異なるボーナストラックが入っている)。GTはガンズ&ローゼズを始めとする80年代HR/HMやグラム・メタルに影響を受けたアルバムで、音だけ聞いただけではイギリス(正確にはウェールズだけど)出身とはイメージできない大陸的な明朗さを持つキャッチーなメロディーのハードロックが特徴であるが、メジャーコードばかりのGTの中にあってこの曲だけが唯一のマイナーコード曲なのと、6分間の演奏時間のうち計3分近くギターソロを含むインストパートなのが色々と異質な所である。当時のマニックスグラムロックやパンクにインスパイアされた派手な服装とやたら難解な歌詞と「4REAL」事件を始めとする過激な言動により他の同時代にデビューした有象無象の新人バンドと一線を画す存在感を放っていたが、肝心の演奏がヘタクソで特にリッチーなどはギタリストと名乗ってるくせに殆どギターが弾けなかった(本人も「別に上手くなりたいとも思わない」と言っていたと思う)ぐらいなのだから、そんな彼らがこの曲で目一杯本格的なHR/HMをやろうとする姿に妙な感動を覚えたものである。当時まともに楽器が弾けるのはジェームズだけと言われていたのだが、この「Condemned~」において「俺ら歌詞だけじゃないぞオラ」と言わんばかりに延々とアピールされるギターソロはマニックスの楽曲担当であったジェームズの意地でもあるんだろう。それどころかドラム以外のパートを全部ジェームズが弾いてるんじゃないかぐらいの勢いだ。マンサンの「Six」にも言えるのだがこういう、演奏力よりセンスとアティチュードとアイデア勝負の性格の強いオルタナティブ/インディーロック出身バンドが一定レベルの演奏能力を要求するメタルやプログレに果敢にチャレンジする姿勢は既存のジャンルの枠内に要領よく収まっているバンドよりも勇気があるし、その勇気に惹かれるリスナーも多いんじゃないかと思う。当時「全世界でNo.1になる2枚組アルバムを出して解散する」という例の「解散宣言」に「カッコいいまま消えることの美学」を期待していたファンも少なくなかったけれど、この「Condemned~」には「バンドを自分たちのシリアスなキャリアとして続けたい」という彼らの本音が現れていたように思えてならない。

とはいえこの曲がスタジオ技術を駆使して録音されたものであることは聴けば誰でも丸わかり(ギター2本聞こえるけどリッチーが弾けるわけないし)であったからこの曲がライブで再現できるとは当時到底考えられず実際ライブで演奏されることは数年前まで殆どなかったと記憶している。10年ぐらい前ぐらいから曲の一部をジェームズがアコースティックで演奏したりしていたが、バンド形式でフルで演奏するようになったのは恐らくここ2,3年ぐらいであろう。下の動画は2015年のカーディフ城ライブの時の演奏である。


Manic St Preachers - condemned to rock and roll - Cardiff Castle 5/6/15

ヘタクソ時代のマニックスを知る者としてはこの曲がちゃんと本人たちの演奏で再現されているのを見るだけで嬉しくなる。「この曲がやっとライブでできるようになったんだ凄いじゃーん」ってなものだ(笑)。時折高音域の所でキーを落としたり裏声を使ってはいるが殆ど元曲に忠実な演奏でこれが日本でも聴けたらマジで号泣するかもしれない。「いい歳してマジ泣きするとか痛すぎる」って思うかもだけどいざ始まったら多分マジ泣きするオジサンオバサン続出だよ?

「Atone」White Moth Black Butterfly(2017)

前回の続きみたいな愚痴話なのだけれど、実質的に同じような音楽性を持ちながらその出自ゆえにこのバンドはメタル、このバンドはオルタナと言った特定のカテゴリーに収められることで他のジャンルのファンに興味を持たれなくなってしまう状況は実にもったいないと思っている。ポール・ドレイパーが最近Kscopeと契約したことで向こうのプログレ専門誌にもインタビューやレビューが載るようになったけれども、本国でも日本でも依然として彼はMansunブリットポップのアーティストというイメージだしファンの大半もその路線を期待しているのも不幸な話だと思う。Kscope系に限らず例えばBring Me The Horizon(←いずれここで取り上げると思う)の最近の音楽性はもうほとんどオルタナティブロックと言っていいほどなのだけれど元々のオルタナティブ好きがBMTHを聴いてるかというと少なくとも日本では全然そうじゃないので、出自にとらわれずに作品に向き合うのは難しいなと痛感している。複数の異なる(かつ互いに相容れない)ジャンルの狭間に落ちてしまった故に正当な評価を受けられなかったバンドは過去に枚挙にいとまがなく、この点でもジャンル細分化の弊害は実に大きいと言わざるを得ない。

Atone

Atone

White Moth Black Butterfly(以下WMBB)はSkyharborのKeshav DharとTesseracT/ex-SkyharborのDaniel Tompkinsが中心になって結成されたポストロック~アンビエント系のプロジェクトである。2014年に自主製作の1st「One Thousand Wings」がリリースされており、そのあとに続く本作「Atone」がKscopeからの第1弾となっている。メンバーがメンバーだけに「Guiding Lights」(←Skyharborの2nd)で見られた耽美性抒情性は本作にも引き継がれているもののプログレッシブメタルの要素は全くない。一方影響元としてMassive AttackEnigmaSigur Ros等が挙げられており、どちらかというとオルタナティブロックのリスナーにアピールする音楽性を持っているんじゃないかと思っている。1stから独特の世界観と楽曲のクオリティの高さには目を見張るものがあったけれど、本作はドラマチックな展開かつ親しみやすいメロディーの曲が増え、よりとっつきやすい内容となっていると思う。Daniel Tompkinsに関しては元々First Signs of FrostやTesseracTの1stのような青春熱血系ド直球エモヴォーカルが好きだったので初めてWMBBの1stを聴いた時にはその情感溢れる耽美的な歌いまわしに「正直Danにはこういう路線は求めてないんだけどなぁ~」と思ったものだけれども、本作ではその辺がもう少しコントロールされより洗練されてきたように感じる。数々のバンドやプロジェクトに参加し作品を出すごとに表現力の幅が広がっていくDanのヴォーカルの進化ももちろん素晴らしいのだけど個人的に特に惹かれたのがJordan Turner(前作のクレジットはJordan Bethany)のドリーミーで浮遊感あふれるヴォーカルである。Kscope所属の女性シンガーはそれぞれに個性的でみんな大好きなのだけれど、Jordan嬢はLee Douglas(Anathema)やMarjana Semkina(iamthemorning)の清純な天使性にBjorkやCatatonia時代のCerys Matthewsのような少女のような妖精性が加わったマジカルな魅力を持つ声の持ち主で、本来もっと注目されるべきヴォーカリストだと思っている。とにかくWMBBはSkyharborやTesseracTのメンバーの別プロジェクトという先入観を抜きにして現代プログレからポストロック、ドリームポップ、オルタナティブロックのファンの方にも聴いてもらいたいユニットで、日本盤が出ない故に日本の洋楽雑誌に取り上げられないのは国内の洋楽シーンにとって大きな損失だとすら思っている。YouTubeにもアルバムからの音源が数曲公開されているので、興味を持った方はぜひ聴いてみてください。

「Spooky Action」Paul Draper(2017)

プログレッシブ・ロックというと日本ではどうしても例の70年代英国五大バンドやユーロロックカンタベリー系周りのイメージが強いし、NHK-FMの「プログレ三昧」みたいな番組や洋楽誌のプログレ特集でも大体この辺しか取り上げてなくてドリームシアターみたいなのは「あんなのただのメタルだろ」とバカにされるし現代プログレの第一人者スティーヴン・ウィルソンなどは存在すら無視される始末(一応この前の「プログレ三昧」では曲をかけてもらったけど、と一応フォローしておく)。大体英国プログレ専門誌で何度も表紙になっているラッシュでさえ日本ではプログレと認めたがらない空気があるしな。以前スティーヴン・ウィルソンが「Hand. Cannot. Erase.」をリリースした時にSWおよびKscopeを総力特集した「ストレンジデイズ」誌はGJであったがその後まもなく休刊してしまったしこの全く「プログレッシブ」でない現状どうにかならないんだろうか。まあ本国イギリスでも70年代プログレ原理主義者みたいなのは結構いるようでつい先日リリースされたスティーヴン・ウィルソンの「To The Bone」も80年代ポップスに影響された明るく親しみやすい作風に「彼はプログレを捨てたのか?」みたいな議論がなされているようでどこでもプログレッシャーというのは面倒くさい連中なのだということを実感させられる。

SPOOKY ACTION

SPOOKY ACTION

 

ポール・ドレイパーは90年代後半に人気を博したマンサンのヴォーカリストである。 一般的にマンサンはUKオルタナティブ/インディーロックのバンドという認識なので、このポールの初のソロアルバム「Spooky Action」のリリースが現代プログレッシブロックを牽引するKscopeレーベルからというのは少々意表を突いた選択かもしれない。元々マンサンは2nd「Six」においてプログレ的なテイストを全面的に見せてはいたけれども、その路線に当時所属のレコード会社が難色を示したらしくその次のアルバム「Little Kix」ではプログレ色が大幅に後退した王道バラード路線で本人的にも色々と不満があったようで、今回のソロアルバムが「実質のマンサンの3rd」という位置づけでもあるらしい。ポールは元々70年代プログレは特にファンというわけではなく(せいぜいピンク・フロイドの「危機」を聴いたぐらい?)、プログレ的な要素は主に後期ビートルズやプリンスなどからの影響であるということだが、Kscopeとの契約といいスティーヴン・ウィルソンとのコラボレーション(←「EP ONE」収録曲の「No Ideas」)といい、本人が現在やろうとしているタイプの音楽がいわゆる「現代プログレ」といわれる類のそれに非常に近いことは否めないと思う。本作もマンサン解散から14年という歳月を経ているという予備知識がなくても相当の時間をかけて非常によく作りこまれたアルバムであることは一回聴いただけで実感できる。冒頭から6分を超える長尺曲「Don't Poke The Bear」からして様々な時代や様式の英国ロックのエッセンスが無節操に詰め込まれた怪作である。マンサンはドミニク・チャドのギターが目玉の一つであったのだけど、本作はどちらかというと80年代ニューロマンティクスを彷彿とさせるシンセサイザーがフィーチュアされた曲が多く、その辺が聴き手の好みの分かれる所だろうと思う。一方で「Can't Get Fairier Than That」「Feel Like I Wanna Stay」のような、往年のマンサン時代を彷彿とさせるキャッチーでポップなギターロックもありどこかホッとさせられる。個人的には近年のポールの音楽上のパートナーであるThe AnchoressことCatherine Anne Daviesとの共作5曲が、The Anchoressにも共通する鬱屈したエモーションを内包したメランコリックで叙情的な作風でありながら、同時にマンサン時代からのポールの持ち味である耽美な情感が感じられて興味深い。自分一人で作るより他人の客観的な目を通したほうが、自分ではなかなか自覚しにくい本人の個性や魅力が引き出されるのかもしれない。ただし全体的に複雑で情報量が多く一回聴いただけでは掴みどころがない部分も多々あるので、Kscopeリスナーで今回初めて本作でポール・ドレイパーの作品に触れる方は、是非何度も繰り返し聴くことをお勧めする。これは全くの憶測だがスティーヴン・ウィルソンが「To the Bone」を制作するにあたり、イメージしたアーティストの一人に(はっきりとは明言されていないが最近のコラボの動きを見ても)ポール・ドレイパーもいたんじゃないかと思う。彼の80年代ニューウェイブに影響された一見ポップでありながらコアの部分は複雑で屈折した作風と、プログレオルタナティブの絶妙な境界線にいる立ち位置は、後期ポーキュパイン・トゥリーで顕著だったヘヴィー路線を離れたSWが次に目指す場所なのかなと思っている。今、「境界線」と書いたけれども、オリジナルで奇妙で複雑で面白いものという点では「プログレッシブ」も「オルタナティブ」も本質的には全く変わらないと思うし、今後のポールおよびKscopeには本質的な意味でのプログレッシブ/オルタナティブロックを提供してもらいたいものである。