sleepflower音盤雑記

洋楽CDについてきわめて主観的に語るブログ。

「In Memory Of My Feelings」Catherine Anne Davies & Bernard Butler(2020)

バーナード・バトラーは今はプロデューサーとして活躍している人だけど、やはり私みたく90年代UKロックをリアルタイムで聴いている人にとってはスウェード時代の印象が強い。よくよく考えてみるとスウェード作品でバーナードが関わっているの最初の2枚だけなのだけど、アルバムデビュー前にいきなり「The Best New Band in Britain」という触れ込みでメロディーメイカー誌の表紙を飾ったり、当時英国で流行っていたシューゲイザーやマッドチェスター等のバンドと全く異なるグラムロックの要素を取り入れた独自の音楽性を打ち出すなどとにかく当時のスウェードの登場の仕方が「ど派手」だったためにその後四半世紀経った現在もいまだにスウェードのイメージで語られてることが多い気がする。ブレット・アンダーソンの退廃的で妖艶なヴォーカルとバーナードのドラマ性を帯びた華麗なギターは当時のスウェードサウンドの核でありどちらが欠けても成り立たないぐらいの一体感であったから、バーナードの突然の脱退はスウェードファンのみならず当時のUK音楽シーン全体に衝撃を与えた記憶がある。その脱退から既に四半世紀経っているのにいまだに「元スウェードの~」と語られることに本人は正直どう思っているのかわからないけれど、スウェード脱退後もブレットと共演したりしてるし悪印象はそんなにないんだろう。

そのバーナード・バトラーがThe Anchoressことキャサリン・アン・デイヴィスと共作共演したアルバムが先日リリースされた「In Memory Of My Feelings」である。バーナードとキャサリンの出会いは意外に古く、キャサリンがThe Anchoressを名乗る前Catherine AD名義で活動していた2009年頃に遡る。時系列的にはおそらくポール・ドレイパーと知り合った頃より前ではないだろうか。元々このアルバムはThe Anchoressの2ndアルバムとして制作される予定だったのだけれど、途中で方針が変わってThe Anchoressの2ndはキャサリン一人で制作することとなり、それまで作りかけてたバーナードとの共作曲は「何らかの形で別にリリースする」ということになったのである。理由は色々あると思うが、それまでのキャサリンの「音楽業界における性差別」に関する数々の発言から推測するに「著名な男性ミュージシャンにプロデュースされる女性アーティスト」というイメージが定着することを危惧したのではないかと思われる。私の周りでもThe Anchoressの1st(ポール・ドレイパーが共同プロデューサーとして参加している)がMansunにそっくりだという声がよく聞かれたしおそらく本国でもそのように言われることが多くてキャサリンも辟易したのではないだろうか。個人的にはThe Anchoressの1stがそれほどMansunに似ているとは思わないのだけれど、やはりポール・ドレイパーがプロデュースとなるとマンサン的なものを期待したくなるのは仕方のないことなのかもしれない。

In Memory Of My Feelings

In Memory Of My Feelings

 

 「In Memory Of My Feelings」は最終的にはThe Anchoressではなくキャサリン・アン・デイヴィス名義でバーナードとの共作アルバムとしてKscopeとは別のレーベル(Needle Mythology)からリリースされた。当初EPで出せるぐらいの曲数かなとおもっていたのでフルアルバムで出たことは意外である。そしてこの内容が予想以上に素晴らしい。おそらく90年代UKロックファンにはThe Anchoressの1stより「ツボにはまる」アルバムではないかと思う。冒頭の静謐で内省的な「The Breakdown」こそThe Anchoress的だけれども「The Good Reasons」以降バーナードの骨太のギターが存分にフィーチュアされた英国らしさを感じさせるスタイリッシュな楽曲が続く。特に3曲目の「Sabotage(Looks So Easy)」はキャサリンの情念を帯びた唸るような低音とバーナードのソリッドでハードなギターが見事なコントラストを見せる曲でこのアルバムの中でも出色だと思う。一方でフェミニンな優しさを持つ「I Know」、ノスタルジックで叙情的な「The Patron Saint Of The Lost Cause」、スケールが大きくドラマチックな展開が印象的な「F.O.H.」などそれぞれが個性的でバリエーションに富んだ楽曲が揃っているので最後まで飽きずに聴き通すことができる。制作着手から完成まで4年、途中紆余曲折を経て一時はお蔵入りかと思われていた作品なだけに最終的にアルバムの形で世に送り出してくれたことに感謝しかない。一つ気になったのは本作は作曲こそキャサリンとバーナードの共作だけれどもプロデュースはバーナード単独なことである。以前よりセルフプロデュースに強いこだわりを持っているキャサリンがいくら相手がバーナードとはいえ誰かにプロデュースの全権を委ねるのは「らしくない」からだ。The Anchoressの2ndアルバムを自分で全て制作したいという意向と引き換えに譲歩したのだろうか。その2ndアルバム「The Art Of Losing」はいよいよ来年3月にリリースされるので、楽しみに待ちたいものである。

【この1曲】Paul Weller「Earth Beat」(「On Sunset」(2020) )

「On Sunset」はポール・ウェラーのソロとして15枚目のアルバムである。「そんなにたくさん出してたのか」というのが正直な気持ちだ。私自身が途中でUKロックを全然聴かなくなった時期があったので作品のいくつかが記憶から抜け落ちているのだと思う。比較的コンスタントにアルバムを出しているマニックスでさえ直近のアルバム(「Resistance Is Futile」)が13枚目なのだからポール・ウェラーがいかに多作で勤勉かがわかるだろう。風貌もジャムやスタカン時代の端正で若々しくかつ一切の妥協を許さない生真面目な青年風からすっかり変わってしまった。還暦を過ぎ心身ともに円熟の境地といえば聞こえはいいが真っ白な長髪に深い皺が刻まれた風貌はまるで仙人のようだ。「On Sunset」というタイトルは昨年ロサンゼルス在住の長男を訪ねたときに40年前にツアーで訪れたサンセット・ストリップの光景を思い出したことに由来しているそうだけれども、最近のインタビューにおける「mortalityへの意識が強くなった分、やれるうちは仕事をしていたい、クリエイトしたいという思いが強まったのかな。だってそれができなくなる日はいずれ俺にも訪れるわけだから」という発言からしても「夕暮れ」という意味のsunsetと重ね合わせているだろうことは容易に想像がつく。自身の老いを受け容れ今ある日々を楽しもうとするウェラーの姿勢は大いに尊敬できる一方で、「まだ老け込むのは早いぞ」と思ってしまう。何と言っても彼の一番下の子供はまだ3歳なのだ。頑張って長生きしてこれからもたくさんアルバムをリリースしてもらいたいものである。


Paul Weller | Earth Beat (Lyric Video)

「On Sunset」の先行公開第1弾の「Earth Beat」を初めて聴いたときに真っ先に思ったのは「何だこれスタカンじゃん」というものだった。「22 Dreams」以降、サイケデリックロックやエレクトロニカ等それまでジャムやスタカン時代とは全く異なるタイプの音楽に果敢にチャレンジしていたウェラーが古巣の?ポリドールに移籍したのをきっかけに原点回帰を図ろうとしたのかもしれない(ミック・タルボットも参加しているし)。しかしジャムやスタカン時代含めこれまでの作品がある特定の音楽スタイルをそのまま拝借してメロディーを乗っけていたような曲が多かった印象があったのに対し、「On Sunset」で聴かれる曲群はもっとリラックスした、ウェラーの中に元々あった音楽性をそのまま取り出したような自然さが感じられるのが特徴だと思う。「Earth Beat」もスタカン時代の「ソウルをやってみました」的力みがなくこれまでウェラーが歴代作品の中に取り入れてきたソウルやフォークやエレクトロニカなど様々なエッセンスを自分の音楽として消化しきっているためとても聴きやすい。日本でも本国でも「ポール・ウェラーはジャムとソロはいいけどスタカンは苦手」という人が残念ながら多いのだけど、スタカン時代の実験や試行錯誤があったからこそその後のソロ作品における音楽的語彙に豊かさが加わりウェラーの楽曲をユニークなものにしていると私は思っている。っていうかウェラー自身まだスタカン大好きでしょ。来月末にリリース予定の「Long Hot Summers: The Story of The Style Council」の共同編纂にも関わっているし。スタカンからウェラーのファンになった私は嬉しいけれどジャム派が圧倒的に多い本国のファンはどう思うんだろう。あとやっぱりスタカンといえばカプチーノ・キッド(Paolo Hewitt)だよなぁ。前記事の通りパオロ・ヒューイットとは10年以上前に交流が絶えているけれども、かつての同僚ブルース・フォクストンやミック・タルボットが近年の作品に参加しているように彼ともまた何らかの形で再び関わってくれるといいなと思っている。

【この一冊】 Paolo Hewitt「Paul Weller : The Changing Man」(2007)

ポール・ウェラーの伝記や評伝はいくつかあるのだけど、この本はウェラーの同郷かつ長年の盟友であったパオロ・ヒューイットの著書ということでとりわけ話題性の高かったものである。「盟友であった」、と過去形なのはこの本が出版された少し前に著者がウェラーと袂を分かってしまったからで、これには個人的にビックリしてしまった。10年以上の前の話なので「今さらかよ」と思った方もいるかもだけれど、「The Cappuccino Kid」の中の人としてスタイル・カウンシルのイメージ戦略にもずいぶんと貢献していた人なだけに決裂は残念でならない。

そんな背景のためか、著者のウェラー評は少々辛口である。特に序章が「彼とはもう親友ではない」「僕が彼に嫉妬していると言う人がいるが、僕が彼に嫉妬するとすれば身長だけだ」などと辛辣な調子で書かれているため読み始めの頃は「これは暴露本だろうか」と心配になったものだ。しかし読み進めていくうちに著者がいかにウェラーの作品を愛しソングライターとしてリスペクトしていたかが伝わり、全体としては「ポール・ウェラー=愛すべき英国の頑固オヤジ」というイメージがさらにこの評伝によって裏打ちされた感がある。「彼は天才ではない」と言いつつもウェラーのソングライターとしての卓越した資質や才能について性格分析も含め深く考察をしているのはやはり長年友人としてウェラーと深く関わっていた著者ならではだろう。

 本書は各章のタイトルとして著者によってセレクトされたジャム~スタカン~ソロ時代のウェラーの曲が時系列順に並んでいてそれぞれの曲のエピソードを取り上げつつウェラーの人となりを語るスタイルになっている。とはいえ話自体が時系列になっているわけではなく、ジャム時代の曲の章のところでいきなりソロ時代の話に飛んだりするので、いわゆる通常のようなバイオ本のような幼少時代→学校時代→バンド結成→デビューみたいな流れを期待すると「あれ、ジャム時代の話はどうなったんだよ」となってしまう。それとジャムにおけるブルース・フォクストンとリック・バックラー、スタカンにおけるミック・タルボットとのエピソードが殆どないのがいささか片手落ち感があるのは否めない。あくまで本書のスタンスは「自分にとってのポールを語る」でありポール・ウェラーの音楽キャリアを俯瞰するというものではないのだろう(そのようなものは他にたくさんあるだろうし)。

Paul Weller - The Changing Man (English Edition)

Paul Weller - The Changing Man (English Edition)

 

 本書はタイトルの通り、ポール・ウェラーの性格の多面性に着目しつつ音楽的変遷や政治観・人生観の変化を追ったものである。確かにジャム時代のウェラーが見たら「何だこのクソオヤジ」と思ってしまうような変遷ぶりだ。最初の妻だったディー・C・リーがウェラーから離れたのもかつては生真面目でストイックであった彼が再評価を受けつつあったブリットポップ期以降、より世俗的で享楽的な態度に変化していったことについていけなくなったかららしい。ブラーやオアシス等ジャムに影響を受けた世代やそのさらに下の若い世代のミュージシャン達と積極的に交流するようになり、それがウェラー作品に同時代性を与え若いファンを獲得する大きな要因になったのは確かだけれど、著者をはじめ周囲の人間は絶えず振り回されっぱなしでさぞかし胃の痛い思いが絶えなかったことだろう。しかしウェラーの音楽性や生活態度の変化の振り幅が大きな一方で、若い頃から終始一貫して全く変わらない部分もあって、それは「面倒くさい頑固オヤジ的メンタリティー」である。何とこのメンタリティーがジャム時代から始まっているのが彼の「らしい」所と言わざるを得ない。とりわけウェラーのコンピューター嫌いは著者を辟易させたようで、ある時などはパソコンで仕事をすると「そんなので書くな、タイプライター使え」と彼からいちゃもんをつけられて大喧嘩になったらしい。インターネットが普及し始めたときも「俺はそんなの使わん」と随分文句を言っていたようだ(最近は公式HPもSNSも普通にあるようだしだいぶ寛容になったのかもしれない)。しかしこのような頑迷さや偏屈さも我々日本人がイメージする「英国らしさ」とマッチしているために「愛すべき英国の頑固オヤジ」としてファンの間で前向きに受け入れられているのは彼にとって幸運なことではないだろうか。

 ポール・ウェラーが普段の会話でなく作品の中により自分の心情を注ぎ込むタイプであることは卓越した詩作の才能がありながら若くしてこの世を去った友人Dave Wallerを歌った「A Man Of Great Promise」や幼少時代に施設に預けられ過酷な生活を強いられた著者がある夜にそのことを思い出して号泣した時のことを歌った「As You Lean Into The Light」で詳しく語られている。日頃は口も酒癖も悪く偏屈で面倒くさい所はたくさんあるけれども友人達を想う気持ちを曲に託すウェラーの優しさには心打たれるものがある。「A Man Of Great Promise」は個人的に大好きな曲で明るくて洗練されたいかにもスタカンらしい曲なのだけれど、悲しい内容の歌詞をこのような曲調に仕上げてくるというのがウェラーのソングライティングの非凡な所だと思う。

 著者がウェラーと決裂した直接的なきっかけははっきりと書かれていないが、ウェラーの周りを振り回す突飛な行動や酒癖の悪さなど「アーティストとしては尊敬するけど友人としてはもうこりごりだ」という著者の本音が本書の至る所に現れており「そうだよね~お疲れ様」と言いたくなる一方で、ウェラーが「22 Dreams」でそれまでの路線から音楽的な大転換を図るのがまさに本書の出版された2007年以降なので、この時期の背景も引き続き追ってほしかったなという気持ちは否めない。「22 Dreams」(2008)で最初期のジャムに在籍していたスティーヴ・ブルックス、「Wake Up The Nation」(2010)でブルース・フォクストン、そして最新作「On Sunset」(2020)でミック・タルボットとかつての同僚が近年のウェラー作品に参加しているのだから、いつか著者がウェラーと和解する日も来るのではないかと期待している。

 著者はメロディー・メイカーやNME等かつての本国の有名音楽紙のライターとして活躍していたがその割に本書の英語は難解過ぎず比較的読みやすい。68章まであるため一見「うへー長い」と凹んでしまうが2ページしかない章もあるため割とサクサク進むんじゃないかと思う。実際に各章のタイトルとなっている曲をかけながら読み進めてみるとより楽しいと思うので、背景知識のあるファンにはぜひ読むことを勧めたい。

 

「Colour by Numbers」Culture Club(1983)

今から考えるとカルチャー・クラブというのは一体何だったんだろう。いい曲は多いのだがボーイ・ジョージドラえもん体型と奇妙奇天烈なファッションのために半ばコミックバンド的な扱いをされていたように思われる。元々顔も体もでかかったのだが一時期は「大仏か?」とツッコむレベルで肉が付きまくっていたものである。今は今で随分スリムになったもののヒゲにバリバリメイクの怪しいオッサンだ。まあそれでも当時ライバルと言われていたデッド・オア・アライブピート・バーンズよりは全然マシで、ピートなどは整形をし過ぎて晩年はすっかり変なオカマさんになってしまっていた。元の顔のつくりはピート>>>>ボーイ・ジョージだったのに実にもったいない。2人とも鼻にコンプレックスがあったのだがやはり安易に整形はするべきではなく、ボーイ・ジョージのようにできるだけ化粧でカモフラージュするほうが後のことを考えても賢い。基本的にボーイ・ジョージのメイクは「美しく見せるメイク」というより「欠点をカモフラージュするメイク」である。およそボーイ・ジョージほど欠点だらけの顔の持ち主はいないのではないだろうか。彼のようなでかい顔・でかい鼻・小さい目というのは女性だったらコンプレックスになりそうだ。従って鼻のでかさを目立たせないように目の周りに派手な色を置きまくったメイク、写真を取られる時は出来るだけ小顔に見せるよう常にあごを引き気味にするくせなどたくさんの努力をしている。しかしそのカモフラージュメイクは奇抜すぎて一般人には全く参考にならないのである。メイクというよりもはやコスプレだ。しかしこういう漫画的なキャラクターは日本人にはわかりやすく、普段洋楽をそんなに聴かない中学生たちの間でもボーイ・ジョージは割と知られていた。先述のピート・バーンズだけでなくデュラン・デュランとも随分インタビューで口撃合戦していたのでカルチャー・クラブvsデュラン・デュランという対立構造が日本の一地方の中学校でも浸透していて私のクラスでもそれぞれのファンが対立していたものだ。ちなみにこのボーイ・ジョージのインタビューというのがまたとても饒舌で一つの質問につき延々としゃべりまくるものだから当時のミュージック・ライフなどでは見開き2ページに質問3つしか載せられたかったものである。
かようにボーイ・ジョージという人は頭の回転の速いイメージがあるのだが、その割にしょっちゅう逮捕されていた記憶がある。2008年に男性を監禁した疑いで逮捕されたが、その数年前にもドラッグ使用で逮捕されたことがあった。それまでボーイ・ジョージはインタビューでも偉そうなことをたくさん語っていたからドラッグをやっていたというのは個人的にかなり衝撃的だったのだが、その時のボーイ・ジョージの言い訳が何と「僕は強い人間だからドラッグなんて止めようと思えばすぐ止められる自信があった」というものだった。止められなかったから逮捕されたんだろ、と言いたい人も多いと思うが、それだけ彼は自分の能力を過信していたのだろう。事実ドラッグ事件後「ジーザズ・ラブズ・ユー」名義で当時最先端のクラブ・ミュージックを取り入れた作品をいくつかヒットさせているし元々の音楽トレンドに対する嗅覚は鋭いのだろう。このようにボーイ・ジョージは天才肌といえば聞こえはいいが要は感情の起伏が激しくムラ気の多い人で傑作も多いのだが同じぐらい駄曲も多い。さらに曲はいいのにPVがダメというのもある。特に日本をバカにしてるとしか思えない「ミス・ミー(Miss Me Blind)」なんて曲はカッコいいのに実にもったいない。ちなみにこのPVに出演している芸者女は今はなき「音楽専科」誌のロンドン特派員記者だった黒沢美津子。日本人なんだからさーちょっとは文句言おうよ。

Colour By Numbers

Colour By Numbers

  • アーティスト:Culture Club
  • 発売日: 2003/10/07
  • メディア: CD
 

「Colour by Numbers」はその「Miss Me Blind」が収録されている彼らの2ndアルバムである。アルバムの半分がシングルカットされており彼らの中で最も売れたアルバムであるが一般的に一番知名度の高いシングルは 「Karma Chameleon」だろう。何しろ米英チャート1位その他の国でも殆どがチャート1位またはそれ以外でもTop5に入っていた大ヒット曲である。とりわけ日本ではこの曲の「カーマ、カマカマ~」というフレーズがボーイ・ジョージのおカマキャラと重なって大人気で、今ではすっかり「カルチャー・クラブといえばカーマ・カメレオン」みたいなイメージが出来上がってしまっている。常日頃から「カーマ・カメレオンだけがカルチャー・クラブじゃないしラスト・クリスマスだけがワムじゃないしアフリカだけがTOTOじゃないしセパレート・ウェイズだけがジャーニーじゃないぞ」と思っている私としては実に由々しき現状だ。ルックスやゴシップ的な話題の多かったボーイ・ジョージであるが、彼のややハスキーで甘く暖かみあるソウルフルなボーカルは今聴いても素晴らしい。とりわけアルバム最後の壮大なバラード「Victims」の美しさは感涙ものである。ラテン、ファンク、モータウン等様々な要素を貪欲に取り入れつつもタイムレスで普遍的なポップアルバムに昇華させた本作からは「人種とか性別とかジャンルなんて関係ない」という強力なメッセージが伝わってくる。「カーマ~」で彼らを知った若い世代の音楽ファンにもぜひこのアルバムは通して聴いてもらいたい。

【この1曲】The Style Council「Angel」(「The Cost of Loving」(1987) )

 

愛聴盤には2タイプあって、「大好きという自覚があって、事実何回も聞いてしまう盤」と、「そんなに好きという自覚はないのだがよく考えてみると何度も聴いている盤」というのがある。私にとってこのスタイル・カウンシルの3rdアルバム「The Cost of Loving」は後者に属するのだけれど、好きだという自覚のある2nd「Our Favourite Shop」よりもひょっとして聴いている頻度が高いかもしれない。一般的にはそれまでR&Bネオアコやジャズなど様々なジャンルのエッセンスを取り入れつつ独自の音楽性を確立しつつあったスタイル・カウンシル(以下「スタカン」)が既存のR&Bの様式をそっくり模倣してしまった失敗作として各音楽評論家からは一様にバッシングされたアルバムなのだけど、当時高校生だった私はこのアルバムがきっかけで長年愛聴してきたUKインディ~オルタナティブ・ロックを離れ一時期本場アメリカのR&B音楽に走ってしまったほどである(ちょうどジャネット・ジャクソンボビー・ブラウンが日本でもお茶の間レベルでブレイクしていた頃だったと思う)。

もっとも批判の根拠である「R&Bの下手な模倣」というのは建前で、実際はそれまでポール・ウェラーミック・タルボットによる「愉快な2人組」体制を敷いていたのにこのアルバムからいきなり(っていうか前々からその予兆はあったのだが)4人体制になって、当時ポール・ウェラーの奥方であったディー・C・リーのヴォーカルの比重が異常に大きくなった(アルバム最後の「A Woman's Song」で丸々ヴォーカルを独占してさえいる)あたりでジャム時代の硬派なイメージでポール・ウェラーを見ていたウェラー信者などは正直ついていけないものがあったんじゃないだろうか。まあウェラーの場合「硬派」というイメージがそもそもの間違いでジャム時代にも前カノのジル嬢とのツーショット写真がバンバン雑誌に載ってたし最初から硬派とはとても言い難かったけどな(←中学時代からファンをやるとこういうミーハーな視点になる)。


The Style Council - Angel

この「The Cost of Loving」収録曲の「Angel」は元々はアニタ・ベイカーのカヴァーなのだけれど、ポール・ウェラーはこれをディー・C・リーとの夫婦デュエットにしてしまいそのベタ甘な歌詞と相まって「勝手に2人でのろけてれボケ」と思わせるに充分な内容である。おそらくこの「ベタさ」を受け入れられるかそうでないかによってこのアルバムの評価は変わるのだろう。事実UKロック評論家の批判をよそに日本では最も売れたスカタン、じゃなくてスタカンのアルバムというではないか。どうもUKロック好きは黒モノが嫌い(またはその逆)、という一般的な傾向があるようでスクリッティ・ポリッティなども初期の「Skank Bloc Bologna」なんかが好きな人は後の大ヒット作「Cupid & Psyche 85」のことは嫌いという意見が多い。そういえばこの「The Cost of Loving」を貸してくれた高校の友人はジャムのことはあまりピンとこないと言っていた。正直な話私もポール・ウェラーはスタカン〜ソロ1st時代が最強でジャムは「The Gift」より前はリアルタイムでないので思い入れがないしソロも名盤「Stanley Road」はともかく「Heavy Soul」以降は当時の私には渋すぎて正直ついていけなかった時期が長年あった(一連のソロ作を頻繁に聴くようになったのはつい最近である)。「何だ結局ディー・C・リー最強なんじゃないか」とお思いの方もいると思うがその通りで、この夫婦の離婚はソロ初期にはまだ引きずっていた感のある「スタカン的なもの」に決定的な終止符を打ったという意味で個人的にはかなり打撃だったのである。ディー・C・リーのヴォーカルはパワフルさはないものの軽やかで優しく落ち着いた声質がスタカンの楽曲に知的で洗練された雰囲気を与えていたと思う。おまけに綺麗だったしな。2人の子供たち(ナットとリア)も器量よしでしかもどちらも親日家だし本当にありがたいのだけど、やっぱり「Angel」を聴くと2人の当時のラブラブ時代を思い出して切なくなるなぁ。

【この1曲】Asking Alexandria「Someone, Somewhere」(「Reckless & Relentless」(2011) )

長年バンドをやっていると音楽性がデビュー時からどんどん変わっていくのは自然なことなのだけど、例えばマニックスの「Motorcycle Emptiness」のように初期のアルバムにその何年も後のバンドの音楽的方向性を予感させる曲というのはあって、Asking Alexandria(以下「アスキン」)の場合は2ndアルバム「Reckless & Relentless」収録の「Someone, Somewhere」がそれに当たるのだと思う。この「Reckless & Relentless」自体はファンの間でも特に人気の高いメタルコアの名盤なのだけど、「Someone, Somewhere」はグロウルもスクリームもブレイクダウンもない超ストレートでどこか懐かしい明るく爽やかなハードロックである。
この曲はボーカルのダニー・ワースノップの個人的心情がストレートに出されている曲と言われており、「どんなに辛くてもどこかに必ず自分を思ってくれている人がいる」というのが基本テーマである。歌詞の内容は3部構成となっており第1節目はブルース歌手でありダニーに多大な音楽的影響を与えた祖父に対する尊敬と感謝の気持ち、2節目は10代の時に散々悩ませ今は全く疎遠となった両親に対する後悔の気持ち、そして3節目が「My terror twin」と歌われるアスキンのギタリストのベン・ブルースに対する絶対的な信頼と友情の念という非常にエモーショナルなもので、その歌詞の内容に呼応するかのようにポップでメロディアスかつ大陸的なスケールと大らかさを持つサウンドは、ヘヴィーでアグレッシブな楽曲で構成されるこのアルバムにおいて清涼剤的な役割の曲となっている。

ASKING ALEXANDRIA - Someone, Somewhere
元々アスキンはスクリームがどんなにブルータルでもクリーンの部分が妙にキャッチーで明るいハードロック調でそこがアメリカ受けしてるところだろうけど、現在彼らがツアーで「Reckless~」から取り上げる唯一の曲がこの「Someone, Somewhere」なところを見ると、本人たちもとりわけ思い入れのある曲なんだろうと思う。実際この曲には色んなバージョンがある。アルバムバージョンはダニーが現在のハスキーな声に変わる前の若々しいクリーンヴォイスで歌われているが、下の動画のようにアコースティックバージョンも複数ある。これは「Reckless~」リリースと同時期の頃の2011年の演奏で、ダニーも今のハスキー声に本格的に声変わり?する前の若さの残るボーカルながら終始低音で一生懸命渋く歌おうとしているのが微笑ましい。

Asking Alexandria - Someone, Somewhere Acoustic /w lyrics
ところが3rdアルバム「From Death To Destiny」リリース後の2014年になるとダニーの歌唱法がガラリと変わりほぼ現在と同じブルージーなハードロックのスタイルで歌い上げているのがわかる。この後ダニーは一度アスキンを離れWe Are Harlotで王道ハードロックを追求することになるのだけれど、この動画を見てもとにかくダニーがハードロック歌いたい気満々で、ギターのベンやキャメロンは後ろでニコニコしてるけど本当はこの時期ダニー本人とバンドの音楽的方向性の折り合いをつけるのにさぞかし大変だったんだろうな~と彼らの諸々の苦労を想像してしまう。

Asking Alexandria - Someone Somewhere (NEW ACOUSTIC VERSION)
これは2018年に公開されたアコースティックバージョンで、映像が沖縄の米軍基地のライブドキュメンタリーということもあっても全体的にアメリカンな雰囲気漂う大陸的で明るく爽やかな仕上がりとなっており、一応イングランド出身のバンドなのに英国オーラなど皆無である(笑)

ASKING ALEXANDRIA - Someone, Somewhere (Acoustic)
ここでのダニーのボーカルは同じ歌い上げ唱法でも以前のクラシックなハードロックスタイルからよりポップでソウルフルなテイストへと変化しているのが感じ取れるのだけれど、これを見ると古くからのファンの間では賛否両論の最新作「Like A House On Fire」(2020年5月リリース予定)からのいくつかの先行曲から伺えるポップ路線はある意味必然的な変化だったのだろうなと思われるのである。ダニーが以前ほどハードロックに対するこだわりがなくなったのか、それはWe Are Harlotで存分にやるからいいやとなったのか、とにかく今のアスキンにおけるダニーのスタンスは「そこに自分の歌える場があるから歌う」という割り切りみたいなのを感じてしまう。そういう意味では見かけに中身が追いついた、じゃなくて本当の意味で大人になったということなのだろう。しかし個人的にはまた攻めに攻めまくった路線も見てみたいのだけどね。

それでは締めの1曲として、ダニーの「Terror Twin」であるベン・ブルースがボーカルのアコースティックバージョンを紹介しよう。本職はギタリストなのだけど実は歌も上手い。落ち着いて癒される声質と繊細なギターが何とも美しい世界観を作り上げている。

ASKING ALEXANDRIA (Ben Bruce Acoustic) - Someone Somewhere
しかし何が一番ポイント高いって発音がちゃんとイギリス英語なんだよね(笑)やっぱりイギリス人はちゃんとイギリス英語で歌わなきゃだめだよ。似非アメリカ英語でカントリー歌うダニーはルーツを見失いすぎてあかん。次のアルバムは原点回帰でもうちょっとイギリスっぽいのにならないかな。

【この1曲】BABYMETAL「DA DA DANCE(feat. Tak Matsumoto)」(「Metal Galaxy」(2019) )

前作から3年以上のブランク。その間に小神様ことギタリストの藤岡幹大氏の急逝やYUIMETALの脱退などバンドが危機に追い込まれる事件が相次いだ。そんな数々の苦境を乗り越えてリリースされたBABYMETALの3rdアルバム「Metal Galaxy」は各8曲からなるCDの2枚組で構成されているのだけど、このDisc 1の評価が見事に賛否両論なのが相変わらずBABYMETALらしくてむしろ「ベビメタはこうでなくっちゃね」と嬉しくなってしまう。Disc 1は「Future Metal」という強気なタイトルの曲でスタートするのだけれど、その後に続く楽曲群が「メタル」というよりは「ヘヴィーな音のJ-POP」なのである。J-POPに疎い私でもちょっと通して聴いただけで宇多田ヒカルとかPerfumeなどが浮かぶ(1曲目の「Future Metal」もPerfumeの「Future Pop」のオマージュではないか説もあり)のだからJ-POPからBABYMETALに入った人などはついつい元ネタ探ししたくなるんじゃないだろうか。確かに「Shanti Shanti Shanti」のインド風、「Oh! MAJINAI 」の北欧フォークメタルなどわかりやすく異国スタイルの楽曲もあるのだけれど根本にあるのはあくまで歌謡曲に洋楽のエッセンスを取り入れて進化した90年代J-POPで、元々メタルからBABYMETALに入った人はやはり違和感を覚えているようだ(Amazonレビューを見てもがっかりというメタラーのコメントが目立つ)。しかしそれ以上に注目したいのは彼女たちが他のメタルバンドと一線を画していた個性である「カワイイ」要素が薄れたというか少なくとも今までの「カワイイ」とはすっかり変わってしまったことだ。先日サマーソニックでBABYMETALを見たときには可愛いというよりはキレイなお姉さん達になってダンスもお遊戯というよりチアリーディングっぽい印象を受けたものである。メンバーの成長に加えて童顔で天使のような可愛らしいルックスで人気だったYUIMETALの脱退によりデビュー時の「カワイイ」を維持できなくなったというのもあると思うのだけど、当初「企画物アイドル」として出発したBABYMETALが国内外のツアーやフェスを通じて根強いファンベースを獲得するようになり本人たちも段々シリアスなキャリアとしてBABYMETALをとらえるようになったのだろう。前作「Metal Resistance」はメタルアルバムとしてはとても聴きやすいアルバムだったのだけれど一方で「この路線だとフツーの女性メタルバンドになっちゃうな」という懸念もあって「次作はもっとポップ寄りに冒険してほしい」と思ったものである。その意味で今回のDisc 1の路線は個人的にはとても納得いく変化であり、正直言ってDisc 1に「PA PA YA!!」と「BxMxC」を追加して一枚組でリリースしても良かったんじゃないかと思うぐらいだ。しかしBring Me The Horizonの「amo」のように初期デスコア時代からのファンをバッサリ切るような徹底した路線変更とは異なり、Disc 2で前作からのメタル路線を引き継いでメタラー達を安心させている所は彼女たちの「優しさ」と言っていいかもしれない。


BABYMETAL - DA DA DANCE (feat. Tak Matsumoto) (OFFICIAL)

この「DA DA DANCE」はDisc 1の中でも特に90年代J-POPというか小室系やエイベックス系とか、バブル時代を引きずるイケイケユーロビートのオマージュのような曲で、その昔小室系の曲をカラオケの持ち歌にしていた私などは「懐かしい」と感動の涙を流してしまうぐらいなのだけれどメタラーにはやはり辛いとは思う。しかしこの曲の売りは何と言ってもB'zの松本孝弘氏がギターで参加していることだ。もっともたった8小節のギターソロなので「feat.ってつけるほどのことかよ」と思ったりもするのだけど、この短いフレーズでもしっかり松本印のギターなのがわかるのがさすがである。前々からBABYMETALについては「長く活動するのであればメタル版Perfumeとか女の子版B'zみたいなのが落としどころじゃないかな」と思っていたけどまさかこんなに早くB'zとのコラボが実現するとは思わなかった。B'zも元々「BAD COMMUNICATION」でユーロビートとギターロックの融合みたいなこともやってたし違和感はないけどね。でも8小節だけなのはやっぱり物足りないのでまた近いうちに1曲でもいいからがっつり共作してほしいね。